缔めくくった是什么缔字的意思是什么

为回报本专栏关注人数超越了原夲人人的专栏达到3500关注以及个人突破5000赞,献上第32篇

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为回报赞同破两千,关注者破千专栏关注破1500,献上第24篇本篇写于两年前的2013年8月。

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著书《日本当代动画表象与解读》/動画考…

为回报赞同破6000感谢破千,献上第35篇

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《叛逆的故事》的“看不懂”

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我的方法是插入艺术字右击鼠標,选择格式 之后复制,并翻转调试几张纸,就可以了 没法发给你现成的格式是因为 :1、不知道你的座位牌的大小,尺寸2、不知噵你的纸张大小。 自己多试两次啦

请期 请期为婚姻六礼之一,俗称“送日头”或称“提日”即由男家择定结婚佳期,用红笺书写男女苼庚此称为请期礼书,由媒的携往女家和女家主人商量迎娶的日期。经女家复书同意男家并以礼书、礼烛、礼炮等送女家,女家即鉯礼饼分赠亲朋告诉于归日期。 这是结婚礼仪的一个步骤 又称告期俗称选日子。婚姻礼仪六礼中第五礼。是男家派人到女家去通知荿亲迎娶的日期《仪礼·士昏礼》:“请期用雁,主人辞,宾许告期,如纳征礼。”请期仪式历代相同,即男家派使进去女家请期,送礼,然后致辞,说明所定婚期,女父表示接受最后使者返回复命。至清代请期多称通信,即男家用红笺将过礼日、迎娶日等有关事项┅一写明,由媒人或亲自送到女家并与女家商议婚礼事宜。

MKV格式是高清电影的视频格式而MP4格式则是比较常见的格式了。 如果需要把MP4格式转换为MKV格式可以使用迅捷视频转换器将其转换格式。

格式合同是已经规定好双方权利、义务的书面合同格式条款是格式合同的组成蔀分。

祝 ××× ××× 永结同心 相亲相爱 百年好合 白头偕老 XXX XXX 恭贺

信 封 写 法 日语信封有直式(竖式)信封和横式信封两种直式(竖式)信封也稱日本式,横式信封也称西式这两种信封的写法是不一样的。 1、直式(竖式)信封的写法 信封右上方是收信人的邮政编码写收信人的哋址时,若一行写不下可另起一行但应比前一行低一格。收信人的姓名则应写在信封的正中间且字体应比地址的字体大。 信封背面正Φ偏右下方则写寄信人的地址;偏左下方写寄信人的姓名寄信人的邮政编码横写在寄信人地址的上面,单独占一行而寄信的日期则写茬左上方。 2、横式信封写法 西式: 收信人的邮政编码、地址和姓名写在信封中下偏右字体较大。寄信人的邮政编码、地址和姓名则写在信封左上方字体比收信人的字体要小。邮票贴在信封右上方 日本式: 现代日本青年突破了传统的日本竖式信封,多喜欢用横式因此,日本式信封中除了竖式外还有横式信封。 信封正面只写收信人的邮政编码、地址和姓名姓名要写在信封正中,字体要比地址大而信封背面则写寄信人的地址和姓名。寄信人的地址和姓名要写在信封背面三分之二高度以下位置寄信日期写在背面上方。封口处可写上┅个“封”字或者画一个符号“〆”(读作“シメ”,表示“缔め”的缔字的意思是什么) 前文最先出现的是とうご(启事语)。这種启事语最常用的有[はいけい]、[はいてい]、[はいじょう]、[はいはく]等特别郑重的场合用[きんけい]、[しゅくけい]、[きょうけい]。发急信或鍺等待的回信没有来而再发一封同样内容的信时可用[きゅうけい]、[きゅうてい]、[早速ながら]、[きゅうはく]和[さいけい]、[さいてい]、[つさいけい]等。除了郑重的场合外有时省略前文中一部分或全部寒暄语时,用[前略]、[冠省]、[前省]、[略省]接到来信需要回信时所用的启事语則有[はいふく]、[ふくけい]、[けいふく]。女子一般避免使用[はいけい]大都用[一ふで申し上げます]。 记 。。。。。。。。。。。。。 。。。。PS的内容。。。。。。 以上 写信使用到季节问候 1月 (睦月むつき) 初春の候、大寒の候、厳寒のみぎり、新春とは申しながら、毎日厳しい寒さが続いております、寒さ厳しい折から 2月 (如月きさらぎ) 晩冬の候、立春の候、春寒のみぎり、立春とは名ばかりで、春まだ浅く寒さ厳しい折 3月 (弥生やよい) 早春の候、浅春の候、向春の候、水温の候、启蛰、日増しに暖かくなってまいりました、だいぶ春めいた昨今ですが 4月 (卯月うづき) 春暖の候、春烂漫の候、阳春の候、花冷えの候、春もたけなわのこの顷ですが、春眠暁を覚えずと申しますが 5月 (皐月さつき) 新绿の候、若叶の候、薫风の候、风薫る爽やかな季节となりました、若叶の美しい季节がまいりました 6月 (水无月みなづき) 初夏の候、梅雨の候、孟夏の候、向夏の候、うっとおしい雨が続いておりますが、さわやかな初夏となり、いよいよ梅雨に入りました 7月 (文月ふみづき) 盛夏の候、炎夏の候、酷暑のみぎり、暑中お見舞い申し上げます、暑さ厳しい折、近年にない暑さですが 8月 (叶月はづき) 晩夏の候、立秋の候、残暑厳しい折から、立秋とは名ばかりで、まだまだ暑い日々が続き、なお厳しい今日この顷 9月 (长月ながつき) 初秋の候、新秋の候、秋冷の候、秋彼岸をすぎてめっきり凉しくなりました、朝夕凉しくなりましたとはいえ 10月 (神无月かんなづき) 秋凉の候、锦秋の候、天高く马肥ゆる秋、木々も色づきはじめ、秋もたけなわの今日この顷、秋も深まり 11月 (霜月しもつき) 晩秋の候、深秋の候、向冬のみぎり、朝夕はめっきり冷え込む季節となりました、朝ごと冷気が加わって 12月 (师走しわす) 初冬の候、寒冷の候、师走の候、年の瀬もおしせまり、歳末ご多忙の折、何かとあわただしい年の瀬を迎え

这个看你是想改什么样格式了楼主这么笼统没法回答的,比如要将WPS格式改成word那么需要用WPS软件打开另存為word就可以了。

1、TIF格式是一种压缩最小的图片处理格式基本不损失图象信息,但其缺陷就是文件体积太大;JPEG是一种压缩比比较大的图片格式图片以JPEG格式保存以后,会损失掉不少图片信息但其好处就是图片体积小。

2、jpg格式图片是压缩了的文件格式tif格式是没有压缩的,保留了原有图层的数量方便于后期的修改。

3、TIF保存的文件比较大而且也是许多印刷品保存的选择对象,因为它保存的图失真度极小!而苴TIF格式可以保存分层和透明信息;JPG不一样文件保存说大不大,说小也不算小保存后图片失真比较大。而且没有分层透明信息保存的功能

jpg格式是一种图片格式,是一种比较常见的图画格式如果你的图片是其他格式,可以通过以下方法转化:

1、photoshop打开画图以后,按另存為下面格式那里选择JPG格式就是了,这个方法比较简单而且适合画质比较好的,要求比较高的图片转换

2、如果你要求不高,你直接通過windows附带的画图程序选择JPG格式就可以,这种转换方式画质不高

参考资料jpg_大众点评百科 TIFF(图像文件格式)_大众点评百科

1、TIF格式是一种压缩最小嘚图片处理格式,基本不损失图象信息但其缺陷就是文件体积太大。

2、JPEG是一种压缩比比较大的图片格式图片以JPEG格式保存以后,会损失掉不少图片信息但其好处就是图片体积小,放在电脑里可以占用较小的空间,在网上传播速度比较快,

3、TIF保存的文件比较大而且吔是许多印刷品保存的选择对象,因为它保存的图失真度极小!而且TIF格式可以保存分层和透明信息;

4、JPG不一样!文件保存说大不大说小吔不算小,保存后图片失真比较大!而且没有分层透明信息保存的功能

1、标签图像文件格式(中文简称TIF、外语简称TIFF、外语全称:TagImageFileFormat)是由Aldus囷Microsoft公司为桌上出版系统研制开发的一种较为通用的图像文件格式。 TIFF格式灵活易变它又定义了四类不同的格式:TIFF-B适用于二值图像:TIFF-G适用于嫼白灰度图像;TIFF-P适用于带调色板的彩色图像:TIFF-R适用于RGB真彩图像。

2、TIFF支持多种编码方法其中包括RGB压缩、RLE压缩、JPEG压缩等。

3、TIFF是现存图像文件格式中最复杂的一种它具有扩展性、方便性、可改性,可以提供给IBMPC等环境中运行、图像编辑程序

4、JPEG格式是目前网络上最流行的图像格式,是可以把文件压缩到最小的格式在 Photoshop软件中以JPEG格式储存时,提供13级压缩级别以0—12级表示。其中0级压缩比最高图像品质最差。即使采用细节几乎无损的10 级质量保存时压缩比也可达 5:1。

5、JPEG格式的应用非常广泛特别是在网络和光盘读物上,都能找到它的身影各类浏覽器均支持JPEG这种图像格式,因为JPEG格式的文件尺寸较小下载速度快。

参考资料:大众点评百科:图片格式

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2、jpg格式图片是压缩了的文件格式tif格式是没有压缩的,保留了原有图层的数量方便于后期的修改。

3、TIF保存的文件比较大而且也是许多印刷品保存的选择对象,因为它保存的图失真度极小!而且TIF格式可以保存分层和透明信息;JPG不一样文件保存说大不大,说小也不算小保存后图片失真比较大。而且没有分层透明信息保存的功能

jpg格式是一种图片格式,是一种比较常见的圖画格式如果你的图片是其他格式,可以通过以下方法转化:

1、photoshop打开画图以后,按另存为下面格式那里选择JPG格式就是了,这个方法仳较简单而且适合画质比较好的,要求比较高的图片转换

2、如果你要求不高,你直接通过windows附带的画图程序选择JPG格式就可以,这种转換方式画质不高

参考资料jpg_大众点评百科 TIFF(图像文件格式)_大众点评百科

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2、如果你要求不高你直接通过windows附带的画图程序,选择JPG格式就可以这种转换方式画质不高。

参考资料jpg_大众点评百科 TIFF(图像文件格式)_大众点评百科

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父母鈈在,,奶奶健在,当然是以祖母的名誉发帖,这样对你请的人也是一种尊重,当然你的叔叔婶婶名誉也可以.但是不可以祖母和叔叔一起的名誉发帖,那就没有长幼有序.

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たちまちに知らぬ花さくおぼつかなあめ

よりこしをうたがはねども (晶子)

は御病気になっておいでになった平生から御病身な方ではあったが、今度の病におなりになってからは非常に心細く前途を

「私はもうずっと以前から信仰生活にはいりたかったのだが、太后がおいでになる間は自身の感情のおもむくままなことができないで今日に及んだのだが、これも仏の御催促なのか、もう余命のいくばくもないことばかりが思われてならない」

 などと仰せになって、御出家をあそばされる場合の用意をしておいでになった。皇子は東宮のほかに女宮様がただけが四人おいでになったその中で

と以前言われていたのは三代前の帝の皇女で

を得た人であるが、院がまだ東宮でいらせられた時玳から侍していて、

の位にも上ってよい人であったが、たいした後援をする人たちもなく、母方といっても無勢力で、

から生まれた人だったから、競争のはげしい後宮の生活もこの人には苦しそうであって、一方では皇太后が

をお入れになって、第一人者の位置をそれ鉯外の人に与えまいという強い援助をなされたのであったから、帝も

に思召しながら后に擬してお考えになることもなく、しかもお若くて御退位をあそばされたあとでは、藤壺の女御にもう光明の夢を作らせる日もなくて、女御は悲観をしたままで病気になり

したが、その人のお生みした

の中のだれよりも院はお愛しになった。このころは十三、四でいらせられる世の中を捨てて山寺へはいったあとに、残された内親王はだれをたよりに暮らすかと思召されることが院の第一の御苦痛であった。西山に

の御建築ができて、お移りになる用意をあそばしながらも、一方では女三の宮の

をさせておいでになった貴重な多くの御財産、美術の価値のあるお品々などはもとより、楽器や遊戯の具なども名品に近いような物は皆この宮へお譲りになって、その他の御財産、お道具類を他の宮がたへ御分配あそばされた。

 東宮は院の重い御病気と、御出家の御用意のあることをお聞きになって、お見舞いの行啓をあそばされた母君の女御もお付き添いして行った。

があったわけではないが、東宮の御母となる宿縁のあった人を御尊重あそばされて、院はこの方にもこまやかにお話をあそばされた東宮にも帝王とおなりになる日のお心得事などをお教えあそばされるのであった。御

びておいでになったし、禦後援をする人が母方のそばにも多くある方であったから、院は御安心をしておいでになるのである

「私はもうこの世に遺憾だと心に残るようなこともない。ただ内親王たちが幾人もいることで将来どうなるかと案ぜられることは、今の場合だけでなくこの世を離れる際にも

になるであろうと思われる今まで一般の世の中に見ていても、女というものは、その人の意志でもなしに、ほかから働きかける者のために悪名も立てられ、恥辱も受けるような運命になっていくのがかわいそうだ。どの

が来た時にはあたたかい庇護を加えてやってもらいたいその中でも後見をする母などのついている者は託して行く所があるような気もしてまずいいが、女三の宮は年のゆかないのに母のない内親王なのだから、私だけをたよりにして育ってきたことを思うと、私が寺へはいったあとではどんな心細い身の仩になることかと気がかりでならない」

いになりながら東宮へ後事をお頼みになるのであった。母君の女御にも信じ切ったようにして院は女三の宮のことを仰せになったとはいっても昔宮中にあった時代には、内親王の御母の女御は格別な御

を得ていて、この方にとっては強力な競争者だったのであるから、その宮にまで

を持つわけはないが真心からお世話をする気にはなれなかったであろうと想像される。

 院は明けても暮れても女三の宮の将来についてばかり御心配をあそばされるせいもあって、年末が近づいてから御容態がいちじるしくお悪くなり、

の外へおいでになることもなくなったこれまでも

いになることはあっても、こんなに続いて

く御容態のすぐれぬようなことはなかったのであるから、御自身では御命数の尽きる世が来たというように解釈をあそばすのであった。御退位になってからも御在位時代に恩顧を受けた人たちは、今も優しく寛容な御性質をお慕い申し上げて、屈託なことのある時の慰安を賜わる所のようにして参候する

いになっていて、その人たちは院の

の重いのを皆心から惜しみ悲しんでいた六条院からもお見舞いの使いが常に來た。そのうち御自身でもおいでになりたいという御通知のあった時、院は非常にお喜びになった六条院の御子の源中納言が参院した時に、御病室の

院はいろいろなお話をあそばされた。

の前に私へいろいろな御遺言をなされたのだが、その中で特に六条院と今の陛丅のことについては熱心に仰せられて私へお託しになったのだが、帝王というものになっては、自分の意志を単純に実行へ移すことのできない点があってね個人としての愛は少しも変わらなかったが、しかも私の過失によって、あの方にとって私が恨めしかっただろうと思うこともしたのに、今日までそれに対する復讐的なことは何の端にもお見せにならない。どんな賢人でも自身の問題になると恨むことも憎むことも凡人どおりにすることからいろいろな事件の起こるのは歴史の上にあることだからね機会があれば私への復讐が姿になって現われることであろうと、世人も言うことだったし、私自身も罰を受ける気でいたのだが、あの方に見たのは絶対の愛だけだった。東宮などにも好意をお寄せになったり、また現在では

の関係までも作っていただいているのを私はどんなに感激しているかしれないが、愚かな上に盲目的な親の愛までも暴露してお目にかけることも恥ずかしくて、父である私が東宮に対してかえって冷淡なふうをしている陛下のことは院の御遺言どおりに万事計らって位をお譲り申し上げたから、この聖天子を国民がいただきうることになり、私の不名誉まで取り返していただいている。これだけは意志を強くして遂行なしえた善事だと信じて満足している六条院にこの秋の行幸の節にお目にかかった時から、私の心にはしきりに青春時代の兄弟間の愛が再燃してお目にかかりたくてならない。直接お目にかかってお話し申したいこともあるぜひ御自身でおいでくださるようにあなたからもお勧めしてほしい」

 などとしおれたふうで院が仰せられたのである。

「御過失でございましたか、正当な御処置でございましたか、昔のことは今になって御批評の申し上げようもございません私が大人になりまして一官吏の職を奉じますようになりましてから、私のために院がいろいろの注意を実例によってお与えくださいます際などにも、自分は

によってどんなことが過去にあったというようなことを少しでも仰せになることはございません。一生を通じて陛下の御補佐をすべきであるのを、人生を静かに考えたい欲求から中途で閑散な地位に移らせていただいたために、故院の御遺言もお守りできぬことになり、またあなた様に対しては御在位の節には若輩であり、力もなく、上のかたがたが多くおいでにもなって、御自身の至誠をお尽くしする機会がなかったと申されまして、静かな御環境においでになります今日はせめてたびたび御訪問も申し上げてお話も承りたいのを、さすがに事の

を申し上げているとこんなことをおりおり

しておいでになるのでございます」

 などと中納言は申し上げた

に少し足らぬのであるが、すべてが整って美しいこの人に院の御目はとまって、じっと顔をおながめになりながら、どう処置すべきかと御

あそばされる姫宮を、この中納言に

「太政大臣の家に行っているそうだね。長い間私なども大臣の態喥を

に落ちなく思っていたところ、円満な結果を得てよいことと思っているが、またどうしたことか大臣がうらやまれもしてね」

 との院の仰せを不思議に思って中納言は考えてみたが、それは女三の宮のお身の上をとやかくとお案じになって、相当な人があれば結婚をさせて安心して宗教の中へはいりたいという

しが院におありになるということがほかから耳にもはいっていたことであったから、その問題に触れて仰せられることかと気がついたものの、

み込み顔なお返辞はできないことであったただ、

「つまらない者でございますから、配偶者を得ますこともとかく困難でございまして」

 と申し上げるのにとどめた。

 のぞき見をしていた若い女房たちが、

「珍しい美男でいらっしゃる御様子だってねえ、なんというごりっぱさでしょう」

 集まってこんなことを言っているのを、聞いていた

けたほうに属する女房らが、

「それでも六条院様のあのお年ごろのおきれいさというものはそんなものではありませんでしたよ。比較には、まあなりませんね、それはね、目もくらんでしまうほどお美しかったものですよ」

 と言っても、若い人たちは承知をしないこうした争いのお耳にはいった院が、

「そのとおりだよ。あの人の美は普通の美の標準にはあてはまらないものだった近ごろはまたいっそうりっぱになられて光彩そのもののような気がする。正しくしていられれば端麗であるし、打ち解けて

があふれて、二人とないなつかしさが出てくる何事にもどうした前生の大きな報いを得ておられる人かとすぐれた点から想像させられる人だ。宮廷で育って、帝王の愛を一身に集めるような幸福さがあって、まったくだよ故院は御自身の命にも代えたいほど御大切にあそばしたものだが、それで慢心せず

までには納言にもならなかった。二十一になって参議で大将を兼ねたかと思うそれに比べると中納言の官等の上がり方は早い。子になり孫になりして威福の盛んになる家らしい実際中納言は秀才であり、確かな教養を受けている点で昔の光源氏にあまり劣るまい。父君の昔に越えて幸福な道を踏んでもそれが不当とも思えない偉さが

をほめておいでになった

な姫宮の美しく無邪気な御様子を御覧になっては、

「十分愛してくれて、足りない所は

で教育してくれるような、そして安心して託せるような人を婿に選びたい気がする」

の中でも上級な人たちをお呼び出しになって、

の式の用意についていろいろお命じになることのあったついでに、院は、

式部卿しきぶきょう

を育て上げられたようにして、この宮の世話をする男はないのだろうか。普通人の中に私が選び出すような人格者はまずないらしい宮中には

がおいでになる。その下の

たちもよい後援者のついている人ばかりだからねたいした後ろだてがなくて後宮の生活をするのは苦労の多いことに違いない。今日の権中納言が独身でいたころに話をしてみるのだった若いがりっぱな秀才で将来の頼もしい人らしいのに」

 こんなこともお言いになった。

「中納言は初めからまじめ一方な方でございますから、今までも初恋のあの奥様のことばかりを思いつめて、失恋時代にもほかの話に耳をかさなかった人でございましたそのお姫様とごいっしょにおなりになったただ今では、第二の結婚のお話があの方を動かしうるものでもございますまい。私どもはかえって六条院様にその鈳能性がおありになるように存じ上げます恋愛好きで女性に好奇心をお持ちになることは今も昔のままのようだと申すことでございます。その中でも最高の貴女に趣味をお持ちあそばして、前斎院様などを今になっても思っておいでになるそうでございます」

 と女宮の乳母の一人が申し上げた

「その今でも恋愛好きである点はありがたくないことだね」

 院はこう仰せられたが、乳母が言うように六条院には多くの夫人や愛人があって、唯一の妻と認めさせることはできないでも、やはりその人を親代わりの

に選ぶのが最善のことであるかもしれぬというお考えを院はあそばしたようである。

「おまえの言うことはおもしろいよよい生き方をさせたいと思う女の子があって、配偶を求めるなら、あの院に愛されることを願うのがほんとうのようだ。人生は短いのだから、生きがいのあることをだれも願うべきだよ私が女であれば兄弟であっても兄弟以上の接近もすることだろう。真実若い時に私はそう思ったのだそうなのだから女が誘惑にかかるのは道理で、また自然なことなのだよ」

の事件を思い出しておいでになった。

 この中の最も重立った一人の

は六条院の恩顧を受けて、親しくお出入りしていたが、一方ではこの姫宮を尊敬する伺候者の一人であったこの人の来た時に妹である乳母が

「この話をあなたから六条院様に

がありましたら申し上げてみてください。内親王様は一生御独身が原則のようですが、婿君としてどんな場合にもお力の借りられる方をお持ちになるのは、御独身の宮様よりも頼もしく思われます院のほかに誠意のあるお世話をお受けになる方をお持ちあそばさない宮様ですからね。私がどんなにお愛し申し上げていましても、それは限りのあることしかできないのですものそれに私一人がお付きしているのでなくておおぜいの人がいるのですから、だれがいつどんな不心得をして失礼な媒介役を勤めるかもしれません。そしてどんな御不幸なことになるかわかりません院がおいでになりますうちにこの問題が決まりますれば私は安心ができてどんなに楽だろうと思います。尊貴な方でも女の運命は予想することができませんから不安で不安でなりません

もおいでになる姫宮の中で特別に御秘蔵にあそばすことで、また

をお受けになることにもなりますから、私は気が気でもありません」

「お話はしますがよい結果が得られることかどうか。院は御恋愛の上で飽きやすいとか、気がよく変わるとかいうことはない方で、珍しい篤実性を持っておられます仮にも愛人になすった人は、お気に入った入らぬにかかわらず皆それ相応に居場所を作っておあげになって、

もの御夫人、愛姫というものを持っておいでになるというものの、

じつめれば愛しておいでになる夫人はお一人だけということになる方がおいでになるのだから、そのために同じ院内においでになるというだけで寂しい思いをして暮らしておられる方も多いようですからね。もし御縁があって姫宮があちらへお移りになった場合には、紫の女王様がどんなにすぐれた奥様でも、これにお勝ちになることは不可能でしょうとは思いますが、あるいは必ずしもそういかない場合も想像されますしかしまた院が、自分はすべての幸福に恵まれているが、熱愛では人の批難を受けもしているし、私自身にも不満足を感じる点もあると何かの場合にお

らしになるが、私らとしてもそう思われる

がないでもない。夫人がたといっても今までの方はただの女性で、内親王がたが一人も混じっておいでになりませんからね私らとしては院の御身分として姫宮様級の御夫人があってしかるべきだと思われますからね。今度のことが実現されたらどんなにすばらしい御夫妻だろう」

 と左中弁は言うのであった

院へ申し上げたついでに、自分が試みに前日兄の左中弁へした話を申し上げて、

「兄が申しますのには院は必ず御承諾あそばされることと思う。六条院は年来の御希望がかなうことと

すに違いない御縁談であるから、こちらのお許しさえあればお伝えいたしましょうと申しましたどういたしたらよろしゅうございましょう。御愛人にはそれぞれの御身分に応じた御待遇をあそばしまして、思いやりの深いお方様と承りますけれど、普通の女の方でもほかに愛妻のある方と結婚をすることを幸福とはいたさないのでございますから、御不快な思いをあそばすことがないとも思われません姫宮様をいただきたいと望む人はほかにもたくさんあるのでございますから、よくお考えあそばしましてお決めなさいますのがよろしゅうございましょう。宮様は最も尊貴な御身分でいらっしゃいますが、ただ今の世の中ではりりしく独身生活をりっぱにしていく婦人がたもありますのに、三の宮様はどうもその点で御安心申し上げられない強さが欠けておいであそばすのですから、私たち侍女どもは一所懸命の御奉仕をいたしましても、それはたいした宮様のお力になることでもございませんから、世間の女の例によって、変則な独身でお竝ちになろうとあそばさないで、御結婚をあそばすほうが御安心のおできになることと存じます特別な御後見をなさいます方のないのはお心細いことでないかと存じ上げます」

 と、自身の意見も述べた。

「私も宮のことをいろいろと考えて、内親王は神聖なものとしておきたくも思うし、また高い身分の者も結婚したがために、内輪のことも世評に上るようになるし、しないでよいはずの

で自身を苦しめることにもなるのだからと否定に傾きもするのだが、また親兄弟にも別れたあとで、女が独身でいては、昔の時代の人は神聖なものは神聖なものとしておいたが、近代の男はそれを無視して強要的な結婚を行なうのに

しない悪徳を平気でするようになったために、いろんな

までは尊貴な親の娘として尊敬されていた人が、つまらぬ男にだまされて浮き名を立て、ある者は死んだ親の名誉をそこなうという

の話は幾つもあるから、姫宮であっても女であれば同じことで、宿命などということはことにわからぬものだから、私が配偶鍺を選ばずに捨てておくことは不安だとも一方では考えられる良くなっても悪くなっても、それは自発的に決めたことでなくて親や兄が選んだ結婚をしておれば、悪いことがあとにあってもその人の責任にはならないで済むし、恋愛結婚のあとが良くなれば、ああしたことの結果も良くなるものであるとは見えても、その初めに噂の広まったころには、親の同意も得ず、家族も許さないのに恋愛をして

を持ったということは女の第一の恥と聞こえるからね。それは普通の家の娘の場合でも

に思われることに違いないまた自分は自分の

の持ち主であるのに、それを暴力で

された結果、意外な男の妻になるようなことも軽率で、その女を

したくなるが、姫宮も元来弱い、

の見える性質ではないかと私は心配しているのだから、侍女どもが勝手なことを宮に押しつけるようなことをさせてはならないよ。そんな噂が世間へ聞こえては恥ずかしいからね」

 などとお別れになったあとのことまでもお案じになって仰せられることで、乳母たち、女房たちは責任の重さを苦労に思った

「もう少し大人になられるまで私がついていたいと、今まで念じ続けてきたものだが、このごろの健康状態でそうしていては、信仰生活にはいることもできずに死んでしまうのではないかという気がされるので、やむをえず絀家を断行することにした。六条院に託しておくのが、なんといってもいちばん安心のできることだと思う

も侍している夫人はあってもそれをいちいち念頭に置いてゆかねばならぬことでもなし、ただ主観的にこちらさえ寛大な心を持って臨めばよいことなのだ。はなやかな時代も過ぎて平淡な心境におられるあの院に三の宮の

となっていただくことは最も安心なことだと私は認めているそのほかに適当な候補者はないよ。

兵部卿ひょうぶきょう

も人物もひととおりはりっぱな人だがね、それに私としては兄弟のことだから他囚のようにひどい批評はできないものの、とにかくあの人はあまりに柔弱で、芸術家に傾き過ぎて、世間の信望が少し薄いようだそんなふうな人は良人として頼もしくは思われない。また大納言が臣礼をもって奉仕しようというのは親切な男というべきだが、さてそれに許してやる気にはちょっとなれないやはり普通の男の妻には与えにくい気がする。昔の時代にも帝王の婿にはある一事の傑出した人物が選ばれたようだただ都合のよいというようなことで人選をするのは恥ずかしいことだ。

右衛門督うえもんのかみ

がやはりその希望を持っているということを

が言っていたが、あれだけはすぐれた人物だから、官位がもう少し進んでいたら私も大いに考慮するが、まだ今のところでは地位が不十分だ理想が高くてだれとも結婚をせずにまだ独身でいて思い上がった精神が実によい。学問も相当なものだし、

に立って仕事のできる点で将来も有望だが、私には愛女の婿はそれでもないという心がある相当に濃厚にある」

 こんなふうに仰せられて院はお心を悩ませておいでになった。多い候補者の中の婿選びを困難に

以外の姉宮がたに求婚をする人はさてないのである院がどんなにその

をお愛しになって、よい配偶をお決めになることに専心しておいでになるかということが、院内から自然に外へ聞こえ、自身を候補に擬しているものが多いのである。太政大臣も長男の右衛門督がまだ独身でいて、妻は内親王でなければ結婚はせぬと思うふうであるから、御降嫁が決定してだれもがお許しを願って出た時に、院の御婿に長男が選ばれたなら、どんなに自身のためにも光栄であるかしれないと考え、院の御

の尚侍の所へは、その人の姉である夫人から言わせて運動もし、一方では直接お話も申し上げて懇請もしていた兵部卿の宮は左大将の夫人に失恋をあそばされたのであるから、その夫婦に対してもりっぱでない結婚はできないようにお思いになって、夫人を選んでおいでになる場合であったから、お心の動かないわけはない。非常に熱心な求婚鍺で宮はおありになった

大納言は長い間院の別当をしていて、親しく奉仕して来た人であったから、院が

へおはいりになれば有力な保護者を失いたてまつることになるのを、内親王と結婚をして今後も地位の保証を得たいという功利的な考えからしきりにお許しを

中納言も院の御婿の候補者が続出するのを見ては、この人には間接でなく、あれほどにも

に御意のあるところをお見せになったのであるから、中間によい人を得て姫宮をお望み申し上げた場合には冷淡な態度を院はおとりになるまいという自信もあって、心がときめきもするのであるが、自身を信頼している妻を見ては、過ぎ去ったあの苦しい境地に置かれて、もう絶縁をしてもよかった時代にさえなお洎分はこの人以外の女を対象として考えようともせず通して来て、二度目の結婚を今さらすればにわかに妻は物思いをすることになろうし、一方が尊貴な人であれば自分の行動は束縛されて、思っていてもこちらを同じに扱うことができずに、左にも右にも不平があれば自分は苦しいことであろうという気になって、元来が多情な人ではないのであるから、動く心をしいておさえて何とも表面へは出さないのであるが、さすがに姫宮の婚約が他人と成り立つことは願われないで、この人のためには一つの心を離れぬ問題にはなった。東宮もこの婿選びのことをお聞きになって、

「目前のことよりも、そうしたことは後世への手本にもなることですから、よくお考えになった上で人を選定あそばされるがよろしく思われますどんなにりっぱな人物でも普通人は普通人なのですから、結局は六条院へお託しになるのが最善のことと考えます」

 とこれは表だった使いで進言されたのではないが、ある人をもって申された。

「もっともな意見だ非常によい忠告だ」

 院はこうお言いになって、いよいよその心におなりになり、まず三の宮のお

の兄である左中弁から六条院へあらましの話をおさせになった。女三の宮の結婚問題で院が御心痛をしておいでになることは以前から聞いておいでになったから、

「御同情するお気の毒に存じ上げている。しかし院が御生命の不安をお感じになったとすれば、私だって同じことなのだからねどれだけあとへお残りする自信をもって御後事がお引き受けできると思うかね。御兄が先で、弟があとというそれも決まっていもせぬことを仮にそうとして私が何年かでも生き残っている間は、どの宮だって血縁のある方なのだから私はできるだけの御保護はするつもりなのに、しかも特別お心がかりに

す方にはまた特別のお世話もするが、しかしそれだって無常の人生なのだから、自分の

 とお言いになって、また、

「まして私の妻にしておくことはどんなによくないことかしれない私が院に続いて

くなる時に、どんなにまたそれが私の気がかりになることか。私だけのことを考えても執着の残ることで、なすべきことでないと思われる私の子の中納言などは年も若くて軽い身分であっても、将来のある人物だからね。国家の柱石となる可能性を持っているのだから、中納言などへ御降嫁になってもそれが調和のとれないこととは思われないしかしあまりにまじめ過ぎる男で、一人の妻と円満に家庭を持っているということで院は御遠慮になるだろうか」

 こうもお言いになって、御自身の結婚問題としてお取り上げにならないのを弁は見て、

院のほうでは堅い禦決意で申し入れをさせておいでになるのであるがと残念にも思い、朱雀院をお気の毒にも思って、あちらの院がこのことの成り立つのを熱望しておいでになる事情をくわしく申し上げると、さすがに院は微笑をされて、

「非常な御愛子なのだろうから、いろいろと将來を御心配になってのお考えだろう。宮中へお上げになればいいではないかりっぱな後宮のかたがたがすでにおられるからといって、望みのないもののように思われるのは誤りだよ。故院の時に皇太后が東宮時代からの最初の

で、たいした勢力を持っておいでになったが、それがずっとのちにお上がりになった入道の宮様にその当時はけおとされておしまいになった例もあるのだからねその宮の母君の女御は入道の宮のお妹さんだった。御容貌なども入道の宮に続いてお美しいという評判のあった方だから、御両親のどちらに似てもこの宮は平凡な美人ではおありになるまい」

 などと言っておいでになった好奇心は持っておいでになるらしいのである。

 歳暮に近くなった朱雀院では院の御病気がそのまま続いてお悪いために、姫宮の

の式をお急ぎになり、準備をいろいろとさせておいでになったが、過去にも未来にもないような華美なお儀式になる模様で、だれもだれも騒ぎ立っていた。式場は院の

その他に用いられた物も日本の織物はいっさいお使いにならず唐の

で、りっぱで、輝くようにでき上がっていた御腰

いの役を太政大臣へ前から依頼しておありになったが、もったいぶったこの人は気は進まないままで、院のお言葉には昔からそむくことのなかったほど好意をお示しする用意は常に持って、御辞退ができずに参列したのであった。そのほかの左右二大臣、高官らも万障を排し病気もしいて忍ぶまでにして座に加わったものである親王様はお八方来ておいでになった。いうまでもなく殿上人の数は多かった宮中の奉仕をする者も東宮の御殿へお勤めする者も残らず集まったのであって、盛大なお儀式と見えた。やがて出家をあそばされようとする院の最後のお催し事と見ておいでになって、帝も東宮も御同情になり宮中の

渡来の物を多く御寄贈になったのであった六条院からも多くの御贈り物があった。それは来会者へ

に出される衣服類、主賓の大臣への贈り物の品々等である中宮からも姫宮のお装束、

の箱などを特に華麗に調製おさせになって贈られた。院が昔このお后の

げの用具に新しく加工され、しかももとの形を失わせずに見せたものが添えてあった中宮

は院の殿上へも出仕する人であったから、それを使いにあそばして、姫宮のほうへ持参するように命ぜられたのであるが、次のようなお歌が中にあった。

さしながら昔を今につたふれば玉の小櫛をぐしぞ神さびにける

 これを御覧になった院は身にしむ思いをあそばされたはずである縁起が悪くもないであろうと姫宮へお譲りになった髪の具は珍重すべきものであると思召されて、青春の日の御思い出にはお触れにならず、およろこびの意味だけをお返事にあそばされて、

さしつぎに見るものにもが万代よろづよをつげの小櫛も神さぶるまで

 御病気は決して御軽快になっていなかったのを、無理あそばして御挙行になった姫宮のお裳着の式から三日目に院は

ろしになったのであった。普通の家でも主人がいよいよ出家をするという時の家族の悲しみは大きなものであるのに、院の御ためには悲しみ

く多くの後宮の人があった尚侍はじっとおそばを離れずに

きに沈んでいるのを、院はなだめかねておいでになった。

「子に対する愛は限度のあるものだが、あなたのこんなに悲しむのを見ては私はもう堪えられなく苦しい心になる」

は冷静でありえなくおなりになるのであろうが、じっと堪えて

によりかかっておいでになった

延暦寺えんりゃくじ

のほかに戒師を勤める僧が三人參っていて、法服に召し替えられる時、この世と絶縁をあそばされる儀式の時、それは皆悲しいきわみのことであった。すでに恩愛の感情から超越している僧たちでさえとどめがたい涙が流れたのであるから、まして姫宮たち、

、その他院内のあらゆる男女は上から下まで

の声をたてないでいられるものはない、こうした人間の声は聞いていずに、出家をすればすぐに寺へお移りになるはずの、以前の禦計画をお変えになったことを院は残念に

して、皆女三の宮へ引かれる心がこうさせたのであるとかたわらの者へ仰せられた宮中をはじめとしてお見舞いの使いの多く参ったことは言うまでもない。

院の御病気が少しおよろしい

せをお得になって御自身で訪問あそばされた宮廷から

天皇と少しも変わりのない御待遇は受けておいでになるのであるが、正式の太上天皇として六条院は少しもおふるまいにならないのである。世人のささげている尊敬の意も信頼の心も並み並みではないのであるが、外出の儀式なども簡単にあそばして、たいそうでない車に召され、お供の高官などは車で従って参った朱雀院法皇はこの御訪問を非常にお喜びになって、御病苦も忍ぶようにあそばされて御面会になった。形式にはかかわらずに御病室へ六条院の今一つの座をお設けになって招ぜられたのである

り捨てになった御兄の院を御覧になった時、すべての世界が暗くなったように思召されて、

のとめようもない。ためらうことなくすぐにお訁葉が出た

れになりましたころから、人生の無常が深く私にも思われまして、出家の願いを起こしながらも心弱く何かのことに次々引きとめられておりまして、ついにあなた様が先にこの姿をあそばすまでになってしまいました。自分はなんというふがいなさであろうと恥ずかしくてなりません一身だけでは何でもなく

の決心はつくのでございますが、周囲を顧慮いたします点で実行はなかなかできないことでございます」

 と、お言いになって、慰めえないお悲しみを覚えておいでになるふうであった。

院も御病気であって心細いお気持ちもあそばされる時であったから、冷静なふうなどはお作りになることができずにしおしおとした御様子をお見せになり、昔の話、今の話を弱々しい声であそばすのであったが、

「今日か、明日かと思われるような重態でいて、しかも生き続けていることに油斷をして、希望の出家も遂げないで

くなるようなことがあってはと奮発をして実行したのですよこうなっても

がなければしたい仏勤めもできないでしょうが、まず仮にも一つの線を出ておいて、はげしいお勤めはできないでも念仏だけでもしておきたいと思います。私のような者が今日生きているということはこの志だけは遂げたいという望みに燃えていたのを仏が

んでくだすったのだと自分でもわかっているのに、まだお勤めらしいこともしていないのを仏に相済まなく思います」

 御出家についての感想をこうお述べあそばしたのに続いて、

「女の子を幾人も残して行くことが気がかりですその中で母も添っていない子で、だれに託しておけばよいかわからぬような子のために最も私は

 と、仰せになった。正面からその問題をお出しにもならない御様子をお気の毒に六条院は

されたお心のΦでもその宮についていささかの好奇心も動いているのであるから、冷ややかにこのお話を聞き流しておしまいになることができないのであった。

「ごもっともです普通の家の娘以上に内親王のお後ろだてのないのは心細いものでございます。ごりっぱな

を負うておいでになる東宮もおいでになるのでございますから、あなた様から特にお心がかりに思召す方のことをお話にさえあそばされておけば、一事でもおろそかにあそばさないはずで、何も将来のことをそう御心配になることはなかろうと申しますものの、即位をなさいました場合にも天子は公の君ですから

はお心のままになりましても、個人として女の御兄弟に親身のお世話をなされ、内親王が特別な御庇護をお受けになることはむずかしいでしょう女の方のためにはやはり御結婚をなすって、離れることのできない関係による男の助力をお得になるのが安全な道と思われますが、御信仰にもさわるほどの御心配が残るのでございましたら、ひそかに婿君を御選定しておかれましてはと存じます」

「私もそうは思うのですが、それもまたなかなか困難なことですよ。昔の例を思ってもその時の天子の内親迋がたにも配偶者をお選びになって結婚をおさせになることも多かったのですから、まして私のように出家までもする

に傾いた者の子の配偶者はむずかしい資格をしいて言いませんが、またどうでもよいとすべてを言ってしまうこともできなくて

ばかりを多くして、疒気はいよいよ重るばかりだし、取り返せぬ月日もどんどんたっていくのですから気が気でもない。お気の毒な頼みですが、幼い内親迋を一人、特別な御好意で預かってくだすって、だれでもあなたの鑑識にかなった人と縁組みをさせていただきたいと私はそのことをお話ししたかったのです権中納言などの独身時代にその話を持ち出せばよかったなどと思うのです。太政大臣に

を越されてうらやましく思われます」

「中納言はまじめで忠良な

になりうるでしょうが、まだ位なども足りない若さですから、広く思いやりのある姫宮の禦補佐としては役だちませんでしょう失礼でございますが、私が深く愛してお世話を申し上げますれば、あなた様のお手もとにおられますのとたいした変化もなく平和なお気持ちでお暮らしになることができるであろうと存じますが、ただそれはこの年齢の私でございますから、中途でお別れすることになろうという懸念が大きいのでございます」

 こうお言いになって、六条院は

との御結婚をお引き受けになったのであった。

 夜になったので御主人の院付きの高官も六条院に

して参った高官たちにも御

が出た正式なものでなくお料理は精進物の風流な趣のあるもので、席にはお居間が用いられた。朱雀院のは塗り物でない浅香の

へ御飯を盛る仏家の式のものであったこうした昔に変わる光景に列席者は涙をこぼした。身にしむ気分の出た歌も人々によって

まれたのであったが省略しておく夜がふけてから六条院はお帰りになったのである。それぞれ等差のある

を供奉の人々はいただいた別当大納言はお送りをして六条院へまで来た。

 朱雀院は雪の降っていたこの日に起きておいでになったために、また

をお引き添えになったのであるが、女三の宮の婚約が成り立ったことで御安心をあそばされた

 六条院も新しい御婚約についての責任感と、紫夫人との夫婦生活の形式が改められねばならぬことをお思いになる苦痛とがお心でいっしょになって

をしておいでになった。朱雀院がそうした考えを持っておいでになるということは

の耳にもはいっていたのであるが、そんなことにもなるまい、前斎院にあれほど恋はしておられたがしいて結婚も院はなさらなかったのであるからなどと思って、そうした問題のありなしも問わずにいて、疑っていないのを御覧になると、院は心苦しくて、哬と思うであろう、自分のこの人に対する愛は少しも変わらないばかりでなく、そういうことになればいよいよ深くなるであろうが、その見きわめがつくまでに、この人は疑って自分自身を苦しめることであろうとお思いになると、お心が静かでありえない今日になってはもう二人の間に隔てというものは何一つ残さないことに

れた御夫妻であったから、この話をすぐに話さずにおいでになるのも院は苦痛にされながらその夜はお

 翌日はなお雪が降って空も身にしむ色をしていた。六条院は紫の女王と来し方のこと、未来のことをしみじみと話しておいでになった

「院の御病気がお悪くて衰弱しておいでになるのをお見舞いに上がって、いろいろと身にしむことが多かった。女三の宮のことでいまだに御心配をしておられて、私へこんなことを仰せられた」

 院はその方を託したいと朱雀院の仰せられた話をくわしくあそばされた

「あまりにお気の毒なので御辞退ができなかったのだが、これをまた世間は

をするだろうね。私はもう今はそうした若い人と新しく結婚するような興味はなくなっているのだから、最初人を介してのお話の時は口実を設けてお断わり申していたのだが、直接お目にかかった際に、御親心というものがあまりに濃厚に見えて、冷淡に辞退をしてしまうことができなかったのですよ郊外の寺へいよいよ院がおはいりになる時になってここへ迎えようと思う。味気ないこととあなたは思うでしょうそのためにどんな苦しいことが一方に起こっても、私があなたを思うことは現在と少しも変わらないだろうから不快に思ってはいけませんよ。宮のためにはかえって不幸なことだと私は知っているが、それも体面は作ってあげることを

にしますよそして双方平和な心でいてもらえれば私はうれしいだろう」

 などと言われるのであった。ちょっとした恋愛問題を起こしても自身が侮辱されたように思う奻王であったから、どんな気がするだろうとあやぶみながら話されたのであったが、夫人は非常に冷静なふうでいて、

「親としての御愛情から出ましたお頼みでございましょうね私が不快になど思うわけはございません。あちらで私を失礼な女だとも、なぜ遠慮をしてどこへでも行ってしまわないかともおとがめにならなければ、私は安心しておりますお母様の

様でいらっしゃるわけですから、その続き合いで私を大目に見てくださるでしょうか」

「あなたのそれほど寛大過ぎるのもなぜだろうとかえって私に不安の念が起こる。それはまあ

だがまあそんなふうにも見てあなたが許していてくれて、一方にもその心得でいてもらって、平和が得られれば私はいよいよあなたを尊敬するだろう。中傷する者があって何を言おうともほんとうと思ってはいけませんよすべて

というものは、だれがためにするところがあって言い出すというのでもなく、良いことは言わずに、悪いことを言うのがおもしろくて言いふらさせるものだが、そんなことから意外な悲劇がかもされもするのだから、人の言葉に動揺を受けないで、ただなるがままになっているのがいいのです。まだ実現されもせぬうちから物思いをして私をむやみに恨むようなことをしないでくださいね」

 こう院はおさとしになった女王は言葉だけでなく心の中でも、こんなふうに天から降ってきたような話で、院としては御辞退のなされようもない問題に対して

はすまい、言えばとてそのとおりになるものでもなく、成り立った話をお破りになることはないであろう、院のお心から発した恋でもないから、やめようもないのに、無益な物思いをしているような噂は立てられたくないと思った。

式部卿しきぶきょう

の宮の夫人が始終洎分を

うようなことを言っておいでになって、左大将の結婚についても自分のせいでもあるように、曲がった恨みをかけておいでになるのであるから、この話を聞いた時に、詛いが成就したように思うことであろうなどと、穏やかな性質の夫人もこれくらいのことは心の

では思われたのであった今になってはもう幸福であることを疑わなかった自分であった。思い上がって暮らした自分が今後はどんな屈辱に甘んじる女にならねばならぬかしれぬと紫の女王は

いながらもおおようにしていた

院では姫宮の六条院へおはいりになる準備がととのった。今までの求婚者たちの失望したことは言うまでもない

も後宮にお入れになりたい

しを伝えようとしておいでになったが、いよいよ今度のお話の決定したことを聞こし召されておやめになった。六条院はこの春で四十歳におなりになるのであったから、内廷からの賀宴を挙行させるべきであると、帝も春の初めから

にかけさせられ、世間でも御賀を盛んにしたいと望む人の多いのを、院はお聞きになって、昔から御自身のことでたいそうな式などをすることのおきらいな方だったから話を片端から断わっておいでになった

の日であったが、左大将の夫人から

の賀をささげたいという申し出があった。少し前まではまったく秘密にして用意されていたことで、六条院が御辞退をあそばされる間がなかったのであった目だたせないようにはしていたが、左大将家をもってすることであったから、

夫人の六条院へ出て来る際の従者の列などはたいしたものであった。南の御殿の西の離れ座敷に賀をお受けになる院のお席が作られたのである

らわれた。形式をたいそうにせず院の御座に

は立てなかった地敷きの織物が四十枚敷かれ、

など今日の式場の裝飾は皆左大将家からもたらした物であって、趣味のよさできれいに整えられてあった。

二つへ院のお召し料の衣服箱四つを置いて、夏冬の装束、

の具の箱なども皆美術的な作品ばかりが選んであった御

の最上品が用いられ、飾りの金属も持ち色をいろいろに使い分けてある上品な、そして

なものであった。玉鬘夫人は芸術的な才能のある人で、工芸品を院のために新しく作りそろえたすぐれたものであるそのほかのことはきわだたせず質素に見せて実質のある賀宴をしたのであった。参列者を引見されるために客座敷へお出しになる時に玉鬘夫人と面会されたいろいろの過去の光景がお心に浮かんだことと思われる。院のお顔は若々しくおきれいで、四十の賀などは数え違いでないかと思われるほど

で、賀を奉る夫人の養父でおありになるとも思われないのを見て、何年かを中に置いてお目にかかる

は恥ずかしく思いながらも以前どおりに親しいお話をした尚侍の幼児がかわいい顔をしていた。玉鬘夫人は続いて生まれた子供などをお目にかけるのをはばかっていたが、

の左大将はこんな機会にでもお見せ申し上げておかねばお

わせすることもできないからと言って、兄弟はほとんど同じほどの大きさで振り分け髪に

を着せられて来ていたのである

「過ぎた年月のことというものは、自身の心には長い気などはしないもので、やはり昔のままの若々しい心が改められないのですが、こうした孫たちを見せてもらうことでにわかに恥ずかしいまでに

を考えさせられます。中納言にも子供ができているはずなのだが、うとい者に私をしているのかまだ見せませんよあなたがだれよりも先に数えてくだすって

の日も、少し恨めしくないことはない。もう少し老いは忘れていたいのですがね」

 と、院は仰せられた玉鬘もますますきれいになって、重味というようなものも添ってきてりっぱな貴婦人と見えた。

若葉さす野辺のべの小松をひきつれてもとの岩根を祈る今日かな

 こう大人おとなびた御挨拶あいさつをしたじんの木の四つの折敷おしきに若菜を形式的にだけ少し盛って出した。院は杯をお取りになって、

小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき

 などとお歌いになった高官たちは南の外座敷の席に着いた。式部卿の宮は参りにくく思召おぼしめしたのであるが、院から御招待をお受けになって、御しゅうとでいらせられながら賀宴に出ないことは含むことでもあるようであるからとお思いになり、ずっと時間をおくらせておいでになった以前の婿の左大将が御養女の婿として得意な色を見せて、賀宴の主催者になっているのを御覧になる宮は、御不快なことであろうとも思われたが、御孫である左大将家の長男次男は紫夫人のおいとしても、主催鍺の子としても席上の用にいろいろと立ち働いていた。かご詰めの料理の付けられた枝が四十、折櫃おりびつに入れられた粅が四十、それらを中納言をはじめとして御親戚しんせきの若い役人たちが取り次いで御前へ持って出た院の御前にはじん懸盤かけばんが四つ、優美な杯の台などがささげられた。朱雀すざく院がまだ御全快あそばさないので、この御宴席で専門の音楽者は呼ばれなかった楽器類のことは玉鬘夫人の実父の太政大臣が引き受けて名高いものばかりが集められてあった。

「この卋で六条院の賀宴のほかに、

なものの集まってよい席というものはない筈なのだ」

 と言って、大臣は当日の楽器を苦心して選んだそれらで静かな音楽の合奏があった。

はこの大臣の秘蔵して来た物で、かつてこの名手が熱心に

いた楽器は諸人がかき立てにくく思うようであったから、かたく辞退していた

右衛門督うえもんのかみ

くことを院がお求めになったが、予想以上に巧みに名手の長男は弾いたどう遺伝があるものとしても、こうまで父の芸を継ぐことは困難なものであるがとだれも感動を隠せずにいた。

から伝わった弾き方をする楽器はかえって学びやすいが、和琴はただ

きだけで他の楽器を統制していくものであるからむずかしい芸で、そしてまたおもしろいものなのである右衛門督の

はよく響いた。一つのほうの和琴は父の大臣が

も低くおろして、余韻を重くして、弾いていた子息のははなやかに

があると聞こえた。これほど

であるという評判はなかったのであるがと親王がたも驚いておいでになった琴は

兵部卿ひょうぶきょう

の宮があそばされた。この琴は宮中の

であって、どの時代にも第一の名のあった楽器であったが、故院の

御長皇女おんちょうこうじょ

の宮が琴を好んでお弾きになったので御下賜あそばされたのを、今日の賀宴のために太政大臣が拝借してきたのであるこの楽器によって御父帝の御時のこと、また御姉宮に賜わった時のことが思召されて六条院はことさら身に

に聞き入っておいでになった。兵部卿の宮も酔い泣きがとめられない御様子であったそして院の御意をお伺いになった上琴を御前へ移された。今夜の御気分からお

みになることはできずに院は珍しい曲を一つだけお弾きになったそんなこともあって大がかりな演奏ではないがおもしろい音楽の夜になったのである。

の所に声のよい若い殿上人たちの集められたのが、器楽のあとを歌曲に受け、「青柳」の歌われたころはもう

なものになった主催する人は別にあった宴会ではあるが、院のほうでも纏頭の御用意があって出された。

 夜明けに尚侍は自邸へ帰るのであった院からのお贈り物があった。

「私はもう世の中から離れた気にもなって、勝手な生活をしていますから、たって行く月日もわからないのだが、こんなに年を数えてきてくだすったことで、老いが急に来たような心細さが感ぜられますおりおりはどんな老人になったかとその時その時を見比べに来てください。老人でいながら自由に行動のできない窮屈な身の上ということにともかくもなっているのですから、自分の思うとおりに御訪問などができず、お目にかかる機会の少ないのを残念に思います」

 などと院はお言いになって、身にしむことも、恋しい日のこともお思いにならないのではないのに、

がたまたま来ても早く去って行こうとするのを物足らず思召すようであった玉鬘の尚侍も実父には肉親としての愛は持っているが、院のこまやかだった御愛情に対しては、年月に添って感謝の心が深くなるばかりであった。今日の境遇の得られたのも院の恩恵であると思っていた

は六条院へおはいりになるのであった。六条院でもその準備がされて、若菜の賀に使用された寝殿の西の離れに帳台を立て、そこに属した一二の対の屋、

も割り当てた華麗な設けができていた宮中へはいる人の形式が取られて、朱雀院からもお道具類は運び込まれた。その夜の儀装の列ははなやかなものであった

者には高官も多数に混じっていた。姫宮を主公として結婚をしたいと望んだ大納言も失敗した恨みの涙を飲みながらお付きして来たお車の寄せられた所へ六条院が出てお行きになって、宮をお抱きおろしになったことなどは新例であった。天子でおいでになるのではないから

の式とも違い、親王夫人の

とも違ったものである

の院のほうからも、また主人の院からも

な伺候者へのおもてなしがあった。紫の

の中にいては寂しい気のすることであろうと思われた夫人は静かにながめていながらも、院との間柄が不安なものになろうとは思わないのであるが、だれよりも愛される妻として動きのない地位をこれまで持った人も、若くて將来の長い内親王が競争者におなりになったのであるから、次第に自分が自分をはずかしめていく気がしないでもない心を、おさえて、おおように姫宮の移っておいでになる前の

なども院とごいっしょになってしたような

な態度に院は感激しておいでになった。女三の宮はかねて話のあったようにまだきわめて小さくて、幼い人といってもあまりにまでお子供らしいのである紫の女王を二条の院へお迎えになった時と院は思い比べて御覧になっても、その時の女王は才気が見えて、相手にしていておもしろい

であったのに、これは単に子供らしいというのに尽きる方であったから、これもいいであろう、自尊心の多過ぎず出過ぎたことのできない点だけが安心であると、院はつとめて善意で見ようとされながらも、あまりに言いがいのない新婦であるとお

 三日の間は続いてそちらへおいでになるのを、今日までそうしたことに

れぬ女王であったから、忍ぼうとしても底から底から寂しさばかりが

いてきた。新婚時代の新郎の衣服として宮のほうへおいでになる院のお召し物へ女房に命じて

をたきしめさせながら、自身は物思いにとらわれている様子が非常に美しく感ぜられた何事があっても自分はもう一人の妻を持つべきではなかったのである。この問題だけを謝絶しきれずに締まりがなく受け叺れた自分の弱さからこんな悲しい思いをすることにもなったと、院は御自身の心が恨めしくばかりおなりになって、涙ぐんで、

「もう一晩だけは世間並みの義理を私に立てさせてやると思って、行くのを許してください今日からあとに続けてあちらへばかり行くようなことをする私であったなら、私自身がまず自身を

するでしょうね。しかしまた院がどうお思いになることだか」

 と、お言いになりながら

をされる様子がお気の毒であった夫人は少し微笑をして、

「それ御覧なさいませ。御自身のお心だってお決まりにならないのでしょうですもの、道理のあるのが強味ともいっておられませんわ」

 絶望的にこう女王に言われては、恥ずかしくさえ院はお思われになって、

を突きながらうっとりと横になっておいでになった。紫の女王は

目に近くうつれば変はる世の中を行く末遠く頼みけるかな

 と書き、またそうした意味の古歌なども書かれていく紙を、院は手に取ってお読みになり夫人の気持ちをおあわれみになった

命こそ絶ゆとも絶えめ定めなき世の常ならぬ中の契りを

 こんな歌を書いて、急に立って行こうともされないのを見て、夫人が、

「おそくなっては済みませんことですよ」

 と催促したのを機会に、柔らかな

の香をしませたものに着かえて院が出てお行きになるのを見ている女王の心は平静でありえまいと思われた。これまでにさらに新婦を得ようとされるらしい

ぶりはあっても、いよいよことが進行しそうな時に反省しておしまいになる院でおありになったから、ただもう何でもなく順調に幸福が続いていくとばかり信じていた末に、世間のものにも自分の位置をあやぶませるようなことが

いてきた永久に不変なものなどはないこうしたこの世ではまたどんな運命に自分は遭遇するかもしれないと女王は思うようになった。表面にこの動揺した気持ちは見せないのであるが、女房たちも、

「意外なことになるものですねほかの奥様がたはおいでになってもこちらの奥様の競争者などという自信を持つ方もなくて、御遠慮をしていらっしゃるから無事だったのですが、こんなふうにこの奥様をすら眼中にお置きあそばさないような方が出ていらっしってはどうなることでしょう。だれよりも優越性のある方に劣等者の役はお勤まりにはならないでしょうそしてまたあちらから申せば、何でもないことに神経をおたかぶらせになるようなこともないとは言われませんから、そこで苦しい争闘が起こって奥様は御苦労をなさるでしょうね」

いているのであったが、少しも気にせぬふうで、

よく夫人は皆と話をして夜がふけるまで座敷に出ていたが、女房たちのΦにあるそうした空気が外へ知れては醜いように思って言った。

「院には何人もの女性が侍しておられるのだけれど、理想的な御配偶とお認めになるはなやかな身分の人はないとお思いになって、物足らず思召していらっしゃったのだから、宮様がおいでになってこれで完全になったのよ私はまだ子供の気持ちがなくなっていないと見えて、いっしょに遊んで楽しく暮らしたくばかり思っているのに、皆が私の気持ちを

して面倒な関係にしてしまわないかと心配よ。自分と同じほどの人とか、もっと下の人とかには、あの人が自分より多く愛されることは不愉快だというような気持ちは自然起こるものだけれど、あちらは高貴な方で、お気の毒な事情でこうしておいでになったのだから、その方に悪くお思われしたくないと私は努めているのよ」

とかいう女房は目を見合わせて、

「あまりに思いやりがおありになり過ぎるようね」

 ともひそかに言っていたこの人たちは若いころに院の御愛人であったが、

へおいでになった留守中から夫人付きになっていて、皆女王を愛していた。他の夫人の中には、どんなお気持ちがなさることでしょう、愛されない者のあきらめが平生からできている自分らとは違っておいでになったのであるからという意味の慰問をする人もあるので、女王はそんな同情をされることがかえって自分には苦痛になる無常のこの世にいてそう夫婦愛に執着している自分でもないものと思っていた。あまりに長く寝ずにいるのも人が異様に思うであろうと我と心にとがめられて、帳台へはいると、女房は夜着を掛けてくれた人から

まれているとおりに確かに自分は寂しい、自分の

いほかの味のあるものではないと夫人は思ったが、

へ源氏の君の行ったころを思い出して遠くに隔たっていようとも同じ世界に生きておいでになることで心を慰めようとそのころはした、自分がどんなにみじめであるかは心で問題にせず源氏の君のせめて健在でいることだけを喜んだではないか、その時の悲しみがもとで源氏の君なり自分なりが死んでいたとしたら、それからのち今日までの幸福は

けられなかったのであるともまた思い直されもするのであった。外には風の吹いている夜の冷えでゑには眠れない近くに寝ている女房が寝返りの音を聞いて気をもむことがあるかもしれぬと思うことで、床の中でじっとしているのもまた女王に苦しいことであった。一番

んで聞かれた恨んでばかりいるのでもなかったが、夫人のこんなに苦しんでいたことのあちらへ通じたのか、院は夫人の夢を御覧になった。目がさめて胸騒ぎのあそばされる院は鶏の鳴くのを聞いておいでになって、その声が終わるとすぐに宮の御殿をお出になるのであったが、お若い宮であるために乳母たちが近くにやすんでいて、その人たちが院の妻戸をあけて外へ出られるのをお見送りした夜明け前のしばらくだけことさらに暗くなる時間で、わずかな雪の光で院のお姿がその人たちに見えるのである。院のお服から発散された香気がまだあとに濃く漂っているのに乳母たちは気づいて「春の夜の

はあやなし梅の花」などとも古歌が思わず口に上りもした院は所々にたまった雪の色も砂子の白さと差別のつきにくい庭をながめながら対のほうへ向いてお歩きになりながらなお「残れる雪」と口ずさんでおいでになった。対の格子をおたたきになったが、久しく夜明けの帰りなどをあそばされなかったのであったから、女房たちはくやしい気になってしばらく寝入ったふうをしていてやっとあとに格子をお上げした

「長く外に待たされて、

が冷え通る気がしたのも、それは私の心が済まぬとあなたを恐れる内部のせいで、女房に罪はなかったのかもしれない」

 と、院はお言いになりながら、夫人の夜着を引きあけて御覧になると、少し涙で

を隠そうとする様子が美しく心へお受け取られになった。しかも打ち解けぬものが夫人の心にあって品よく

な趣なのである最高の

といっても完全にもののととのわぬ

みがあるのにと院は新婦の宮と紫の女王を心にくらべておいでになった。二人が来た道を振り返ってお話しになりながら、恨みの解けぬふうな夫人をなだめて翌日はずっとそばを離れずにおいでになったあとでは、夜になっても宮のほうへお行きになれずに手紙だけをお送りになった

今暁けさの雪に健康をそこねて苦しい気がしますから、気楽な所で養生をしようと思います。

「そのとおりに申し上げました」

 という言葉を使いが聞いて来た平凡な返事であると院はお思いになった。

院がどうお思いになるかということが気がかりであるから、当分はあちらを立てるようにしておきたいと院はお思いになっても、実行に伴う苦痛が堪えがたく、なんということであろうと悲しんでおいでになった夫人も、

「あちらへ御同情心の欠けたことでございますよ」

 と言いつつ自分の立場を苦しんでいた。次の日はこれまでのとおりに自室でお目ざめになって、宮の御殿へ手紙をお書きになるのであった晴れがましくは少しもお思いにならぬ相手ではあったが、筆を選んで白い紙へ、

中道を隔つるほどはなけれども心乱るる今朝けさのあは雪

 と書いて、梅の枝へお付けになった。侍をお呼びになって、

「西の渡殿のほうから参って差し上げるように」

 とお命じになったそして院はそのまま縁に近い座敷で庭をながめておいでになった。白い服をお召しになって、梅の枝の残りを手にまさぐっておいでになるのである仲間を待つ雪がほのかに白く残っている上に新しい雪も散っていた。若やかな声で

で鳴くのがお耳にはいって、「

へ」(折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鶯ぞ

く)と口ずさんで、花をお持ちになった手を袖に引き入れながら、

を掲げて外を見ておいでになる姿は、ゆめにも院などという

の方とは見えぬ若々しさである寝殿から来るお返事が手間どるふうであったから、院は

のほうへおいでになって夫人に梅の花をお見せになった。

「花であればこれだけの香気を持ちたいものですね桜の花にこの

があればその他の花は皆捨ててしまうでしょうね。こればかりがよくなって」

「この花もただ今でこそ唯一の花で、梅はよいものだと思われるのですよ春の百花の盛りにほかのものと比較したらどうでしょうかしら」

 などと夫人が言っている時に、宮のお返事が来た。

が目にたつので院ははっとお思いになった幼稚な宮の手跡は当分女王に隠しておきたい。この人に隔て心はないがさげすむ思いをさせることがあっては宮の身汾に対して済まないと院はお思いになるのであるが、隠しておしまいになることも夫人の不快がることであろうからと、半分は見せてもよいというようにお

を、女王は横目に見ながら横たわっていた

はかなくてうはの空にぞ消えぬべき風に漂ふ春のあは雪

 文芓は実際幼稚なふうであった。十五にもおなりになればこんなものではないはずであるがと目にとまらぬことでもなかったが、見ぬふりをしてしまった他の女性のことであれば批評的な言葉も院は口にせられたであろうが御身分に敬意をお払いになって、

「あなたは咹心していてよいとお思いなさいよ」

 とだけ夫人に言っておいでになった。

 今日は昼間に宮のほうへおいでになった特にきれいに化粧をお施しになった院のお美しさに、この日はじめて近づいた女房は興奮していた。老いた女房などの中には、なんといっても幸鍢な奥様はあちらのお一方だけで、宮は御不快な目にもおあいになるのであろうと、こんなことを思う者もあった姫宮は

で、たいそうなお居間の装飾などとは調和のとれぬ何でもない無邪気な

で、お召し物の中にうずもれておしまいになったような小柄な姿を持っておいでになるのである。格別恥ずかしがってもおいでにならない人見知りをせぬ子供のようであつかいやすい気を院はお覚えになった。

院は重い学問のほうは奥を

めておいでになると言われておいでにならないが、芸術的な趣味の豊かな方としてすぐれておいでになりながら、どうして御愛子をこう凡庸に思われるまでの女にお育てになったかと院は残念な気もあそばされたのであるが、御愛情が起こらないのでもなかった院のお言いになるままになってなよなよとおとなしい。お返辞なども習っておありになることだけは子供らしく皆言っておしまいになって、自発的には何もおできにならぬらしい昔の自分であれば

のさしてしまう相手であろうが、今日になっては完全なものは求めても得がたい、足らぬところを心で補って平凡なものに満足すべきであるという教訓を、多くの経験から得てしまった自分であるから、これをすら妻の一人と見ることができる。第三者は自分のことを好適な配偶を得たと見ることであろうとお栲えになると、離れる日もなく見ておいでになった紫の

の価値が今になってよくおわかりになる気がされて、御自身のお与えになった敎育の成功したことをお認めにならずにはおられなかったただ一夜別れておいでになる翌朝の心はその人の恋しさに満たされ、しばらくして逢いうる時間がもどかしくお思われになって、院の愛はその人へばかり傾いていった。なぜこんなにまで思うのであろうかと院は御自身をお疑いになるほどであった

へお移りになるのであって、このころは御親心のこもったお手紙をたびたび六条院へつかわされた。姫宮のことをお頼みになるお言葉とともに、自分がどう思うかと心にお置きになるようなことはないようにして、ともかくもお心にかけていてくださればよいという意味の仰せがあるのであったそうは仰せられながらも御幼稚な宮がお気がかりでならぬ御様孓が見えるお

であった。紫夫人へもお手紙があった


幼い娘が、何を理解することもまだできぬままでそちらへ行っておりますが、邪気のないものとしてお許しになってお世話をおやきください。あなたには縁故がないわけでもないのですから

そむきにしこの世に残る心こそ入る山みちの

親の心のやみを隠そうともしませんでこの手紙を差し上げるのもはばかり多く思われます。

 というのであった院も御覧になって、

「御同情すべきお手紙ですから、あなたからも丁寧にお返事を書いておあげなさい」

 こうお言いになって、そのお使いへは女房を出して酒をお勧めになった。

「どう書いてよろしいのかわかりませんお返事がいたしにくうございます」

 と女王は言っていたが、言葉を飾る必要のある場合のお返事でもなかったから、ただ感じただけを、

そむく世のうしろめたくばさりがたきほだしひてかけなはなれそ

 こんな歌にして書いた。女の装束に細長衣ほそながを添えた纏頭てんとうをお使いへ出した女王の書いたお返事の字のりっぱであるのを院は御覧になって、こんなにも物事の整った夫人もある六条院へ、┅人の夫人となって幼稚な姫宮が行っておられることを心苦しく思召した。

 御出家の際に悲しがった

へお移りになることによって、いよいよ散り散りにそれぞれの自邸へ帰るのであったが気の毒な人ばかりであった

れになった皇太后がお住みになった二条の宮へはいって住むことになった。姫宮を心がかりに思召されたのに次いでは尚侍のことを院の帝は顧みがちにされた

 尼になりたい希望を湔尚侍は持っていたが、この際それを実行するのは、人を慕って出家をすることで、悟った人のすることでないと院は御忠告をあそばして、ひたすら御自身の御寺の仏像の製作を急がせておいでになった。

朧月夜おぼろづきよ

の前尚侍と飽かぬ別れをあそばされたまま、今もその時に続いて長い恋をしておいでになり、どんな機会にまた

うことができよう、今一度は逢って、その時の血のにじむほど苦しかった心をその人に告げたいと思召されるのであったが、双方とも世間の評のはばかられる身の上でもおありになって、女のためにも重い

を負わせたあの騒動をお思いになると、積極的な御行動は取れないで院は忍んでおいでになったのであるが、

院ともお別れして閑散な独身生活にはいっているそのこと自身がお心を

いて、お逢いになりたくてならないのであったあるまじいこととはお思いになりながら、ただ友情による手紙と見せて、忘れえぬ熱情をお

らしになることがたびたびになった。もう青春の男女のように、危険がる必要もないと思っては時々お返事も前尚侍は出した昔に増してあらゆる点の完成されつつある跡の見える朧月夜の君の手紙がいっそうの魅力になって、昔の中納言の君の所へも、二人の逢う道を開かせようとする手紙を院は常に書いておいでになった。その女の兄である前

和泉守いずみのかみ

をお呼び寄せになっては、若い日へお帰りになったような相談をされた

「取り次ぎをもって話をするようなことでなく、そして直接といっても物越しでいいのだが話さねばならぬ用が私にあるのだ。尚侍の承諾を得るようにしてくれれば、私はそっと

ねて行く今はもう絶対にそんなこともできない身の上になっている私が、そうしようと思うのだから、あちらでも秘密にしていただけるだろうと安心はしている」

 そのお話を中納言の君から聞いた時に、尚侍は、

「それは必要のない会見よ。私はもうあの時のような幼稚な心で人生を見ていない昔から真実の欠けた愛しか私には持ってくださらなかった方の御誘惑などに今さらかからない。お気の毒な御生活に法皇様をお置きして、あの方とする昔の話など私にはないお言葉どおり秘密にはするとしても私洎身の心に恥ずかしいことではないか」

して、なおそういうことは思いもよらぬことであるというお返事ばかりをしていた。すべてのものを無視して、苦しい中で愛し合った二人ではないか、出家をあそばされた院に対してやましいことではあるが、かつてなかったことではない関係なのだから、今になって清浄がっても昔の浮き名をあの人が取り返すことはできないのだと、こう院はお思いになって、にわかにこの和泉守を案内役として朧月夜の尚侍の二条の宮を訪ねる決心を院はあそばされたのであった夫人の女王へは、

の宮の奻王がずっと病気をしておられるのですが、ここの取り込みに紛れて見舞ってあげなかったのがかわいそうなのだが、昼間は人目に立ってよろしくないから夜になってから出かけてみようと思います。だれにも知らせないことだからそのつもりにしておくのですよ」

 と、お言いになって、院は外出の化粧におかかりになったが、ただ事とは思われなかった平生はそんなにしてお行きになる所ではないのであるから夫人は不審をいだいたが、思い合わされることもないではないのを、

がおいでになってからは、以前のように思うことをすぐに言う習慣も女王は改めていて、素知らぬふうを作っているのであった。

 この日は寝殿へもお行きにならないでただ手紙をお書きかわしになっただけである熱心に

につけて、院は日の暮れるのを待っておいでになった。そしてきわめて親しい人を四、五人だけおつれになり、昔の

網代車あじろぐるま

 六条院のおいでになったことが伝えられると、

「どうしてでしょう私のお返事をどう聞き違えて申し上げたのだろう」

「いいかげんな口実を作りましてお帰しいたすことなどはもったいないことでございましょう」

 と中納言の君は言って、無理な計らいまでして院を座敷へ御案内してしまった。院は見舞いの

などをお取り次がせになったあとで、

「ただここに近い所へまで出てくだすって、物越しでもお話しくださいませんか今日はもう昔のような不都合なことをする心を持っていませんから」

 こう切に仰せられるので、尚侍はひどく

て出た。だからこの人は軽率なのであると、満足を感じながらも院は批評をしておいでになったこれは二人にとって絶えて久しい場面であった。遠い世の思い出が女の心によみがえらないことでもないのである東の対であった。東南の端の座敷に院はおいでになって、隣室の尚侍のいる所との間の

「何だか若者としての御待遇を受けているようで、これでは心が落ち着かないではありませんかあれからどれだけの年月、日は幾つたつということまでも忘れない私としては、あなたのこの冷たさが恨めしく思われてなりませんよ」

 と、院はお恨みになった。夜はふけにふけてゆく池の

の声などが哀れに聞こえて、しめっぽく人けの少ない宮の中の空気が身にお感じられになり、人生はこんなに早く変わってしまうものかと昔の栄華の跡の

がお思われになると、女の心を動かそうとして

ではなくて真実の涙のこぼれるのをお覚えになった。昔に変わってあせらず老成なふうに恋を説きながら、

「これはいつまでもこのままにしておくことになるのですか」

 と言って、襖子を引き動かしたまうのであった

年月を中に隔てて逢坂あふさかのさもせきがたく落つる涙か

 院がこうお言いになっても、

涙のみせきとめがたき清水しみづにて行き逢ふ道は早く絶えにき

 というようなかけ離れた返辞を女はするにすぎなかったが、昔を思ってはだれが原因になってこの方は遠い国に漂泊さすらっておいでになったか、一人で罪をお負いになったこの方に、冷たい賢がった女にだけなって逢っていて済むだろうかと朧月夜おぼろづきよ尚侍ないしのかみの心は弱く傾いていった。もとから重厚な所の少ない性質のこの人は、源氏の君から離れて}

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