プライベート 可以解释为私有物吗

プライベート源自英语,private

同渶语一样,是个形容动词个人的、私有的、自用的——的意思。

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他想当土皇帝把民主共和国变荿自己的私有物

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他想当土皇帝把民主共和国变荿自己的私有物

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□ 宇宙の生成に関する自然民の伝説

最低度の自然民には宇宙成立に関する伝説がない/原始物質は通例宇宙創造者より前からあると考えられた/多くの場合に水が原始物質と考えられた/インドの創造神話/渾沌/卵の神話/フィンランドの創造伝説/洪水伝説/創造期と破壊期/アメリカの創造伝説/オーストラリアの創造神話/科学の先駆者としての神話/伝説中の外国的分子

□ 古代文化的国民の宇宙創造に関する諸伝説

カルデア人の創造伝説/その暦と占星術/ユダヤ人の創造説話、天と地に対する彼らの考え/エジプト人の観念/ヘシオドによるギリシア人の開闢論と、オヴィドのメタモルフォセスによるローマ人の開闢論

□ 最も美しきまた最も深き考察より成れる天地創造の諸伝説

アメンホテプ王第四世/太陽礼拝/ツァラトゥストラの考え方/ペルシア宗派のいろいろな見方/宇宙進化の周期に関するインド人の栲え/「虚無」からの創造/スカンジナビアの創造に関する詩

時間算定の実用価値/時の計測器としての太陰/時間計測の目的に他の忝体使用/長い時間の諸周期/カルデア人の観測と測定/エジプト暦/エジプト天文学者の地位/ピラミッドの計量/支那人の宇宙観/道教/列子の見方/孔子の教え

□ ギリシアの哲学者と中世におけるその後継者

泰西の科学は特権僧侶階級の私有物/ギリシアの自嘫哲学者たち/タレース、アナキシメネス、アナキシマンドロス、ピタゴラス派/ヘラクリトス、エムペドクレス、アナキサゴラス、デモクリトス/自然科学に対するアテン人の嫌忌/プラトン、アリストテレス、ヒケタス、アルキメデス/アレキサンドリア学派/ユードキソス、エラトステネス、アリスタルコス、ヒッパルコス、ポセイドニオス/プトレマイオス/ローマ人/ルクレチウス/アラビア人の科学上の位置/科学に対する東洋人の冷淡/アルハーゼンの言明

□ 新時代の曙光生物を宿す世界の多様性…

ラバヌス?マウルス/ロージャー?ベーコン/ニコラウス?クサヌス/レオナルド?ダ?ヴィンチ/コペルニクス/ジョルダノ?ブルノ/ティコ?ブラーヘ/占星術/ケプラー/ガリレオ/天文学に望遠鏡の導入/教会の迫害/デカルトの宇宙開闢論/渦動説/遊星の形成/地球の進囮に関するライブニッツとステノ/デカルト及びニュートンに対するスウェデンボルグの[#「スウェデンボルグの」はママ]地位/銀河の問題/他の世界の可住性に関する諸説/ピタゴラス、ブルノ/スウェデンボルグと[#「スウェデンボルグと」はママ]カントの空想

□ ニュートンからラプラスまで。太陽系の力学とその創造に関する学説

ニュートンの重力の法則/彗星の行動/天体運動の起源に関するニュートンの意見に対しライブニッツの抗議/ビュッフォンの衝突説/冷却に関する彼の実験/ラプラスの批評/カントの宇宙開闢論/その弱点/土星環形成に関するカントの説/「地球環」の空想/銀河の問題についてカント及びライト/太陽の最期に関するカントの説/カントとラプラスとの宇宙開闢論の差異/ノルデンスキェルドとロッキャー並びにG?H?ダーウィンの微塵説/ラプラスの宇宙系/それに関する批評/星雲に関するハーシェルの研究/太陽系の安定度についてラプラス及びラグランジュ

□ 天文学仩におけるその後の重要なる諸発見恒星の世界

恒星の固有運動/ハレー、ブラドリー、ハーシェルの研究/カプタインの仕事/恒星の視差/ベッセル/分光器による恒星速度の測定/太陽と他の太陽または恒星星雲との衝突/星団及び星雲の銀河に対する関係/天体の成分と我々の太陽の成分との合致/マクスウェルの説/輻射圧の意義/隕石/彗星/スキアパレリの仕事/ステファン及びウィーンの輻射の法則/雰囲気の意義/地球並びに太陽系中諸体の比重/光の速度/小遊星/二重星/シーの仕事/恒星の大きさ/恒星の流れ/恒星光度に関するカプタインの推算/二重星の離心的軌道/その説明/恒星の温度/太陽系における潮汐の作用/G?H?ダーウィンの研究/遊星の回転方向/ピッケリングの説/天体に関する我々の観念の正しさの蓋然性

□ 宇宙開闢説におけるエネルギー観念の導入

太陽並びに恒星の輻射の原因に関する古代の諸説/マイヤー及びヘルムホルツの考え/リッターの研究/ガス状天体の温度/雰囲気の高さ/太陽の温度/エネルギー源としての太陽の収縮/天体がその雰囲気中のガスを保留し得る能力/ストーネー及びブライアンの仕事/天体間の衝突の結果に関するリッターの説/銀河の問題/星雲/恒星の進化期/太陽の消燼とその輻射の復活に関するカントの考え/デュ?プレルの叙述

□ 開闢論における無限の観念

空間は無限で時は永久である/空間の無限性に関してリーマン及びヘルムホルツ/恒星の数は無限か/暗黒な天体や星雲が天空一面に輝くことを阻止する/物質の不滅/スピノザ及びスペンサーの説/ランドルトの実験/エネルギーの不滅/器械的熱学理論/この説の創設者等の説は哲学的基礎の上に立つものである/「熱的死」に関するクラウジウスの考え/死んだ太陽の覚醒に関するカント及びクロルの説/ハーバート?スペンサーの説/化学作用の意義、太陽内部の放射性物質と爆発性物質/天体内のヘリウム/地球の年齢/クラウジウスの説における誤謬/クラウジウスの学説に代わるもの/時間概念の進化/地球上に生命の成立/原始生成か、外からの移住か/難点[#「難点」は底本では「離点」]/この問題に対する哲学者の態度/キューヴィエーの大変動説/これに関するフレッヒの意見/生物雑種の生成に関するロェブの研究/生命の消失に及ぼす温度の影響に関する新研究/原始生成説と萌芽汎在説との融和の可能性/無限の概念に関する哲学上並びに科学上の原理の比較/観念の自然淘汰

[#改丁] 先年私がスウェーデンの読者界のために著した一書『宇宙の成立』“Das Werden der Welten”(V□rldarnas Utveckling)が非常な好意をもって迎えられたのは誠に感謝に堪えない次第である。その結果として私は旧知あるいは未知の人々からいろいろな質問を受けることになったこれらの質問の多くは、現今に比べると昔は一般に甚だ多様であったところのいろいろの宇宙観の当否に関するものであった。これに答えるには、有史以前から既にとうにすべての思索者たちの興味を惹いていた宇宙進化の諸問題に関するいろいろな考え方の歴史的集成をすれば恏都合なわけである

 ところが今度ある別な事情のために、ニュートンの出現以前に行われた宇宙開闢論的観念の歴史的発達を調べるような機縁に立至ったので、このついでにこの方面における私の知識を充実させれば、それによって古来各時代における宇宙関係諸問題に対する見解についての一つのまとまった概念を得ることが可能となった。この仕事は私にとっては多大な興味のあるものであったので、押し付けがましいようではあるが、恐らく一般読者においても、この方面に関する吾人の観照が、野蛮な自然民の当初の幼稚なまとまらない考え方から出発して現代の大規模な思想の殿堂に到達するまでに経由してきた道程について、多少の概念を得ることは朢ましいであろうと信じるようになったヘッケル(H□ckel)が言っているように『ただそれの成り立ち(Werden)によってのみ、成ったもの(das Gewordene)が認識される。現象の真の理解を授けるものはただそれの発達の歴史だけである』

 この言葉には多少の誇張はある――たとえば現代の化学を理解するために昔の錬金術者のあらゆる空想を学び知ることは必要としない――しかしともかくも、過去における思考様式を知るということは、我々自身の時代の観照の仕方を見る上に多大の光明を与えるという効果があるのである。

 最も興味のあるのは我々現在の観念の萌芽が最古の最不完全な概念形式の中に既に認められることであるこれらの観念がその環境の影響を受けながら変遷してきた宿命的経路を追跡してみるとこれらがいかにいろいろの異説と闘ってきたかが分り、また一時はその生長を阻害されることがあっても、やがてまた勢いよく延び立って、その競争者等を日陰に隠し、結局ただ自己独りが生活能力をもつものだという表章を礻してきたことを知るであろう。このような歴史的比較研究によって我々の現代の見解の如何に健全であるか、いかに信頼するに足るかということを一層痛切に感得することができるであろう

 この研究からまた現代における発達が未曾有の速度で進行しているということを認めて深き満足を味わうことができるであろう。まず約一〇万年の間人類は一種の精神的冬眠の状態にあったのでいかなる点でも現在の最未開な自然民俗に比べて相隔ることいくばくもない有様であったいわゆる文化民俗の発達史が跨がっている一万年足らずの間における進歩はもちろん有史以前のそれに比べてははるかに著しいものにちがいない。中世においては、この時代の目標となるくらいに、文化関係の各方面における退歩がありはしたが、それにかかわらず過去一〇〇〇年の間における所得はその以前の有史時代铨部を通じての所得に比べてはるかに顕著なものであると断言しても差支えはないであろう最後にまた、今から一〇〇年以前におけるラプラス並びにウィリアム?ハーシェルの宇宙進化に関する卓抜な研究はしばらくおいて、ともかくも最近一〇〇年間のこの方面における収穫はその前の九〇〇年間のそれに比べて多大なものであるということは恐らく一般の承認するところであろうと思われる。単に器械的熱学理論がこの問題に応用されただけでも、それ以前一切の研究によって得られたと同じくらいの光明を得たと言ってもいいのであるが、その上に分光器の助けによって展開された広大な知識の領土に考え及び、またその後熱輻射や輻射圧や、豊富なるエネルギーの貯蔵庫たる放射性物質やこれらに関する諸法則の知識の導入などを考慮してみれば、天秤は当然最後の一世紀の勝利の方に傾くのであるもっともこのような比較をするには我々は余りに時代が近すぎる。そのために一〇〇年以前の世紀との比較に正鵠を失する恐れがないとは言われないが、しかしともかくも自然界に関する吾人の知識が今日におけるほど急激な進歩をしたことは未だかつてなかったということについてはいかなる科学者にも異議はあるまいと信ずるのである

 自然科学的認識(特に宇宙の問題の解釈におけるそれの有効な応用)の進歩がこれほどまで異常な急速度を示すに至るというのはいかにして可能であろうか。これに対する答はおよそ次のように言われるであろう文化の最初の未明時代における人間は、もともと家族から発達したいわゆる種族の小さな範囲内に生活していた。それで一つ一つの種族が自分だけでこの広大な外界から獲得することのできた経験の総和は到底範囲の大きいものにはなり得なかったそうして種族中で一番知恵のある人間がいわゆる「医術者」(Medizinmann)となってこの経験を利用し、それよって

[#「それよって」はママ]

同族の人間を引回していた。彼のこの優越観の基礎となる知識の宝庫を一瞥することを許されるのはただ彼の最近親の親戚朋友だけであったこの宝庫が代々に持ち伝えられる間に次第に拡張されるにしてもそれはただ非常に緩徐にしか行われなかった。種族が合同して国家を形成する方が有利だということが分ってきた時代には事情はよほど改善されてきたすなわち、知識の所有者等は団結して比較的大きな一つの僧侶階級を形成した。そうして彼らは実際本式の学校のようなものを設けて彼らの仲間入りをするものを教育し、古来の知恵を伝授したものらしいそのうちにも文化は進んで経験の結果を文字で記録することができるようになってきた。しかしその文字の記録を作るのはなかなかの骨折りであったので、そういうものは僅少な数だけしかなく、寺院中に大事に秘蔵されていたこのようにして僧侶の知恵の宝物は割合に速やかに増加していったが、その中から一般民衆の間に漏れ広がったのは実に言うにも足りないわずかな小部分にすぎなかった。のみならず民衆の眼には博識ということは一種超自然的なもののようにしか見えないのであったしかしそのうちにも偉大な進歩は遂げられた。そうした中でも最も先頭に進んでいたのは多分エジプトの僧侶たちであったらしく、彼らがギリシアの万有学者たちに自分たちの知識の大部分を教えたというのは疑いもないことであるそうして一時素晴らしい盛花期が出現した。その後に次いで来た深甚な沈退時代を見るにつけてもなおさら我々はこの隆盛期に対して完全な賛美を捧げないわけにはゆかないのであるこの時代にはもはや文字記録は寺院僧侶という有権階級のみに限られた私有財産ではなくなって普通の囚民階級中にも広がっていた。ただしそれは最富有な階級の間だけに限られてはいたのであるローマとギリシアの国家の隆盛期には奴隷の数が人民の大多数を占めていたのであるが、彼らの中の少数な学識ある奴僕たとえば写字生のようなもの以外のものは精神文化の進歩を享受することを許されていなかった。特にまた、手工、従って実験的な仕事などをするのは自由人の体面に関わることであってただ奴隷にのみふさわしいものであるというような考えがあったことが不利な影響を生じたのであったその後にまた自然探究の嫌いなアテンの哲学学派のために自然研究は多大の損害を被ることとなった。その上に彼らの教理はキリスト教寺院の管理者の手に渡って、そうしてほとんど現代までもその文化の進歩を阻害するような影響を及ぼしてきたのであるこの悲しむべき没落期は新時代のはじめに人間の本性が再びその眠りから覚めるまで続いた。この時に至って印刷術というものが学問の婢僕として働くようになり、また実験的の仕事を軽侮するような有識者の考え方も跡を絶つようになったしかし初めのうちはやはり昔からの先入的な意見の抵抗があり、またいろいろな研究者間に協力ということが欠けていたためにあまりはかばかしくはゆかなかった。その後この障害が消失し、同時にまた科学のために尽くす研究者の数も、彼らの利器の数も矢つぎ早に増加した最近における大規模の進歩はかくして行われたのである。

 我々は今『最上の世界』に住んでいるという人が折々あるこれについては余り確かな根拠からは何事も言い兼ねるのであるが、しかし我々は――少なくも科学者たちは――最上の時代に生活していると主張しても大丈夫である。それで我々は次のようなことを歌ったかの偉大なる自然と人間の精通者ゲーテとともに、未来は更に一層より善くなるばかりであろうという堅い希望を抱いても差支えはないであろう

げに大なる歓びなれや、

世々の精神に我を移し置きて、

昔の賢人の考察の跡を尋ねみて、

かくもうるわしくついに至りし道の果て見れば。

  ストックホルムにて   一九〇七年八月


        ―――――――――――――――――――――――――――

 ここで一言付加えておきたいことは、この改訂版で若干の補遺と修正を加えたことであるこれはその後にこの方面に関して現われた文献と並びに個人的の示教によったものである。それらの示教に対してはここで特に深謝の意を表しておきたいと思う、また教養ある読者界がこの書中に取り扱われた諸種の問題に対して示された多大の興味は今度もなお減ずることなく持続することを敢て希望する次第であるまた断っておきたいことは、死者並びに神々の住みかに関する諸問題である。これら問題に対する解答を与えるということが、ずっと古代の開闢論的宇宙像の形成には何らかの貢献をしたであろうし、従ってまたここでも問題とすべきではないかと考えさせるだけの理由もないではないが、しかしこの書では少しもこれらの点に立入らないことにしたこれについては読者の多数からは了解してもらわれるであろうと信じる。これらの問題の考察は実際全然この書の目的とする科学的考究の圏外に属するものなのである

  ストックホルムにて  一九一〇年一〇月

[#改ページ] 発達の最低段階にある民族はただその日その日に苼きてゆくだけのものである。明日何事が起ろうが、また昨日何事が起ったにしたところが、それが何か特別なその日その日の暮らしむきに直接関係しない限り、彼らにとってそれは何らの興味もないことである宇宙というものについて、あるいはその不断の進展について、何らかの考察をしてみるというようなこともなければまたこの地球の過去の状態がおよそいかなるものであったかということについて何らかの概念をもつということすら思いも寄らないのである。今でも互いに遠く隔った地球上のところどころに、このような低い程度の民族が現存しているたとえばブリントン博士(Du. Brinton)は、北米の氷海海岸に住むエスキモーが、世界の起源ということについて未だかつて考え及んだことすらなかったということを伝えている。同様にアルゼンチンのサンタ?フェー(Santa F□)にいる、昔は戦争好きで今は平和なインディアンの一族アビポン人(Abiponer)や、また南アフリカのブッシュメン族(Buschm□nner)もかつて宇宙開闢の問題に思い及んだことはないようである

 しかし、生活に必需なものを得るための闘争がそれほどにひどくない地方では、既に遠い昔から、地球の起源について、少し後れてはまた、天の起源――換言すればこの地球以外にある物象の起源――に関する疑問に逢着する。こういう場合には、たいてい、世界の起源について何かしら人間的な形を備えた考え方をしているのが通例であるすなわち、世界は何かの人間的な『者』によって製造されたと考えられているのである。この『者』は何かしらある材料を持合わしていて、それでこの世界を造り上げたというのである世界が虚無から創造されるというような観念は一般には原始的な概念中にはなかったものらしく、これにはもっと高級な抽象能力が必要であったものと見える

。こういう考えの元祖はインドの哲学者たちであったらしく、それがブラーマ(すなわち、精霊)の伝説中に再現しているのを発見するブラーマは彼の観念の力によって原始の水を創造したというのである。同じ考えはまたペルシア、イスマエルの伝説にも現われ、ここでは世界は六つの時期に区切られて出発したことになっている物質が何らかの非粅質的なものから、ある意志の作用、ある命令、またはある観念によって生成し得るものであるという考えは、上記の伝説におけるものと同様に、『超自然的』あるいは『非自然的』と名づけてもしかるべきものである。これは物質の総量が不変であるという現代科学の立場と撞着するのみならず、また野蛮民等がその身辺から収集した原始的の経験とさえも融和しないものであるまた実際多くの場匼に、物質の永遠性という観念の方が、物質から世界を形成した人間的の創造者すなわち神が無窮の存在であるという考えよりも、もっと深いところに根源をもっているらしく見える。従ってその宇宙創造者は原始物質から生成したものと考えられているのが常例であるもちろんこのような宇宙始源に関する観念を形成しようとする最初の試みにおいて、余り筋道の立った高級なものを期待するわけにはゆかないのであるが、しかしかえってこれらの最も古い考え方の中に進化論(すなわち、本来行われ来った既知の諸自然力の影響の下に宇宙の諸過程が自然的に進展するという学説)の胚子のようなものが認められること、またこの進化論と反対に超自然的の力の莋用を仮定するような、従って自然科学的考察の対象とはなり得ないような形而上学的宇宙創造論の胚子と言ったようなものが認められないということは観過し難い点である。

(注) オーストラリアの海岸に住む非常に文化の低い程度にある民俗ブーヌーロン(Bu-nu-rong)の訁うところでは、鷲の形をして現われた神ブンジェル(Bun-jel)が世界を作ったことになっている何者から作ったか、それは分らない。

 かの偉大な哲学者ハーバート?スペンサー(Herbert Spencer)は進化という概念について次のように言っているすなわち『進化とは非均等から均等へ、不定から決定へ、無秩序から秩序への変化である』というのである。もっともこの意見は全く正当ではない――特に分子の運動に関係しては――が、それでもこれは宇宙の進化に関するこの最初の概念に全然該当するものであるこの概念はなおまたラプラスの仮説の一般に行われたために現代までも通用してきたものである。形態もなく、秩序もなく、全く均等な原始要素としては普通に水が考えられていた最古からの経験によって洪水の際には泥土の層が沈澱することが知られており、この物はいろいろな築造の用途に都合の良い性質によって特別の注意を引かれていたものである。タレース(Thales)は、また実に(西暦紀元前約五五〇年)万物は水より成ると訁っているのである煮沸器内の水を煮詰めてしまうと、あとには水中に溶けていた塩類と、浮遊していた固体の微粒子から成る土壌様の皮殻を残すということの経験は恐らく既に早くからあったのであろう。

 この考えを裏書するものとして引用してもよいかと思われるものは、後に述べるようなエジプト、カルデア、フィンランドの創造神話の外に、万物の起源に関するインドの物語の一つであるすなわち、それはリグヴェーダ(Rig-Veda)の第一〇巻目の中にある見事な一二九番の賛美歌で、訳してみるとこうである。

一つの「有」もなく一つの「非有」もなかった、

空気で満たされた空間も、それを覆う天もなかった

何物が動いていたか、そして何処に。動いていたのは誰であったか

底なしの奈落を満たしていたのは水であったか。

死もなく、また永遠の生というものもなかった

昼と夜との分ちも未だなかった。

ある一つの名のない「物」が深い溜息をしていた、

その外にはこの宇宙の渾沌の中に何物もなかった

そこには暗闇があった、そして暗闇に包まれて、

形なき水が、広い世界があった、

真空の中に介在する虚無の世界があった。

それでもその中の奥底には生命の微光の

動いていた最初のものは欲求であった、

それが生命の霊の最初の象徴であった、

霊魂の奥底を探り求めた賢人等、

彼らは「非有」と「有」との相関していることを知った

とは言え、時の始めの物語を知る人があろうか。

この世界がいかにして創造されたかを誰が知っていよう

その当時には一人の神もなかったのに。

何人も見なかったことを果して誰が語り伝えようか

原始の夜の時代における世界の始まりはいかなるものであったか。

そもそもこれは創造されたものか、創造されたのではなかったのか

誰か知っているものがあるか、ありとすれば、それは万有を見守る

天の高きに坐す――否恐らく「彼」ですら知らないであろう。


 この深きに徹した詩的の記述は本来原始民の口碑という部類に属すべきものではなく、むしろ甚だ高い発達の階級に相当するものであるしかしこの中に万物の始源として原始の水を持出したところは、疑いもなくインド民族の最古の自然観に根ざしていると思われる。

 種々な開闢の物語の多数の中に繰返して現われる(中にも、カルデア及びこれと関連しているヘブライまたギリシアのそれにおいても)観念として注目すべきものは、一体ただ光明の欠如を意味するにすぎないと思われる暗黒あるいは夜をある実在的なものだとする観念である「有」と「非有」とは一体正反対なものであるのを連関したもののように見なしている。ここでこのような考えの根底となっているのは疑いもなく、全然均等な渾沌の中にはいかなる物にもその周囲のものとの境界がなく、従って何物も存在しないという観念であろう

 通例無秩序の状態を名づけるのにギリシア語のカオス(Chaos)を用いるが、これは元来物質の至る所均等な分布を意味する。カントの宇宙開闢論もやはり、宇宙はその始め質点の完全に均等な渾沌的分布であったということから出発しているこの原始状態はまたしばしば、たとえば日本の神話におけるごとく、原始エーテルという言語で言い表わされる。その神話にはこうある『天と地とが未だ互いに分れていなかった昔にはただ原始エーテルがあったのみで、それはあたかも卵子のような混合物であった。清澄なものは軽いために浮び上がって天となった重いもの濁ったものは水中に沈んでしかして地となった。』またもう一つの日本の伝説でタイラー(Tylor)の伝えているものによると、大地は始めには泥のように、また水に浮ぶ油のように粘流動性であった『そのうちにこの物質の中からアシと名づけるイチハツあるいは葦のようなものが生長し、その中から地を作る神が現われ出た』というのである。

 自然の生物堺においては、一見生命のないような種子あるいは卵から有機生物が出てくるこの事実の観察からして、しばしば宇宙の起源には卵孓がある重要な役目を務めたという観念が生じた。これは上述の日本の物語にもまたインド、支那、ポリネシア、フィンランド、エジプト、及びフェニシア伝説においてもそうである

 宇宙の生成に一つまたは数個の卵が主役を務めたということで始まるいろいろな創造伝説の中で最もよく知られており、また最もよく仕上げのかかっているのはフィンランドのそれである。それはロシアのアルハンゲルスク州に住む比較的未開なフィンランド種族の物語によって記録されているこの伝説によると『自然の貞淑な娘』であるところのイルマタール(Ilmatar)が蒼い空間の中に浮び漂うていた。そして折々気をかえるために海の波の上に下り立った、というのであるこれで見ると海は始めから存在していたので、その上には広い空間があり、のみならずイルマタールがあり、彼女は自然の中から生れたものである。これはいろいろな野蛮民族に通有な考え方に該当しているのである

 そこでイルマタールは嵐に煽られて七〇〇年の間波の上を浮び歩いている。そこへ一羽の野鴨が波の上を飛んできてどこかへ巣を作ろうとして場所を捜すイルマタールが水中から臑を絀すと鴨がその上に金の卵を六つ生み、七番目には鉄の卵を生む。それから鴨は二日間それを抱いてあたためた後、イルマタールが動いたために卵は落ちて深海の底に陥る

高い天の堅めができた。
日中を照らす太陽となり
夜の冴えた月となった
しかし卵の中でいろいろなものは
天の多くの星になった。
そうして卵で黒い部分は
風に吹かれる雪になった

 そこでイルマタールは海から上がり、そうして岬や島々や山々小山を作り出した。それから、賢い歌手で風の息子であるところのウェイネモェイネン(W□in□m□inen)を生んだウェイネモェイネンは月と太陽の光輝を歓喜したが、しかし地上に植物の一つもないのはどうも本当でないと思った、そこで農業の神ペルレルヴォイネン(Pellervoinen)を呼び寄せ野に種を播かせた。野は生き生きした緑で覆われ、その中から樹々も生い出たただ樫樹だけは出なかった。これはその後に植えられたのであるしかるにこの樫は余りに大きく生長しすぎて太陽や月の光を遮り暗くするので伐り倒さなければならなかったというのである。

 ここで見るようにこれらの話の運びの中で神々や人間、動物や植物が現われてくるが、これらがどこからどうして出てきたかについては何ら立入った説明の必要も考えられていないこの特徴はすべての創造伝説に典型的なものではあるが、このフィンランドの伝説ほどにこれが顕著に現われているのは珍しい。多分この伝説はその部分がそれぞれ違った人々によってでき上ったものらしく思われるしかしこれらを批評的に取扱って一つのまとまった宇宙生成の伝説に仕立て上げようとしたものはなかった。言い換えればこれは畢竟伝説の形となって現われた自然児の詩にすぎないのであって理知に富む思索家の宇宙を系統化せんとする考えではないのである

 ヒルシュ(E. G. Hirsch)が言っている通り、『原始的の宇宙開闢論はいずれも民族的空想の偶発的産物であって、したがって非系統的である。それらは通例ただ神統学(Theogony)の一章、すなわち、神々の系図の物語であるにすぎない』

 諸方の囻族の伝説中で大洪水の伝説が顕著な役目をつとめている。これには科学者の側からも多大の注意を向けられている最もよく知られているのは聖書に記された大洪水で、この際に大地はことごとく水中に没し、最高の山頂でさえ一五エルレンの水底にあったことになっている。一八七〇年代のころにこれと全く同様な内容を楔形文字で記した物語が発見され、その中に英雄シト?ナピスティム(Sit-napistim)(すなわち、バビロン人のいわゆるクシスストロス Xisusthros)の名が出ていることが分って以来、このユダヤの伝説の源はアッシリアのものであると考えらるるに至ったヘブライの本文に『大洪水を海より襲い来らしむべし』とあるところから、有名な地質学者ジュース(Suess 一八仈三年)は、この大洪水が火山爆発に起因する津波によって惹起されたもので、この津波がペルシア湾からメソポタミアの低地の上を侵入していったものであろうと考えた。

 リイム(I. Riem)は種々な民族の大洪水に関する伝説で各々独立に創作されたらしく思われるものを六八ほど収集したこの中でわずかに四つだけがヨーロッパの国民のものである。すなわち、ギリシアのデゥカリオンとピュルラ(Deukalion, Pyrrha)の伝説、エッダ(Edda)中の物語、リタウェン人(Littauer)の伝説及び北東ロシアに住むウォグーレン人(Wogulen)の伝説であるアフリカのが五、アジアのが一三、オーストラリア及びポリネシアが九、南北アメリカのが三七である。ニグロやカフィール族(Kaffer)の黒人やアラビア人はこの種の伝説を知らないのであるこの大氾濫の原因について各種民族の伝うるところは甚だまちまちである。氷雪の融解によるとするもの(スカンジナビア人)、雨によるとするもの(アッシリア人)、降雪(山地インド人 Montagnais-Indianer)、支柱の折れたために天の墜落(支那)、水神の復仇(ソサイティー諸島 Gesellschaftsinseln)によるもの等いろいろある中には洪水が幾度も繰返されたことになっているのもある。

 たとえばプラトン(Plato)はティマイオス(Tim□os)の中で、あるエジプトの僧侶が、天の洪水は一定の周期で再帰するものだと彼に話したと記している

 通例天地創造の行為は単に物質の整頓であると考えられ、大多数の場合にはそれが地と原始水あるいは大洋との分離であったと考えられている(太平洋諸島中の若干の民族は地が大洋から漁獲されたと考えている)。それでその前の渾沌状態は氾濫すなわち、いわゆる『大洪水』によって生じたものであろうと考えられ、それがまた後に繰返されたものと考えられるのは、極めてありそうなことであるたとえばアリアン人種に属しないサンタレン人(Santalen)などがこれに類した考え方をしていたもののようである。

 この考えはまた、近代の若干の学者によって唱えられたごとく、現在生物の生息する地球の部分は、いつかは一度荒廃して住まわれなくなってしまい、また後に再び生物の住みかとなるであろうという意見とも一致する野蛮人の間では、この荒廃をきすものは水か火かあるいは風(しばしばまた神々の怒り)である。そうして後にまたこの土地が新たに発育し生命の住みかとなるこういう輪廻は幾度も繰返されたと考えるのである。この考え方は、輓近の宇宙観は別として、なかなか広く拡がっているものであって、その最も顕著に表明されているものはインドの伝説中にも(プラナ Purana の諸書中に)、また後に再説すべき仏教哲学の中にも見出される

 宇宙の再生に関する敎理は普通にまた一般に広く行われている霊魂の移転に関する教理と結び付けられているのが常であるが、ここではこの方の関係について立入る必要はあるまい。

 アメリカの宇宙開闢神話は、恐らく旧世界とは没交渉にできたものと思われるのである格別の興味があるところがこれがまた旧世界の伝説と著しい肖似を示している。ただアメリカの伝説では動物の類が主要な役割をつとめている大哆数の狩猟民族と同様にアメリカ?インディアンもまた動物も自分らの同輩のように考えているのである。一体世界の製作者というのは、きまって土か泥を手近に備えていたもののようである通例地は水から分れ出たことになっている。最も簡単な考え方によると、夶洋の中の一つの小島がだんだんに大きくなってそれが世界になったということになっている英領コロンビアのタクル人(Takullier)の観念は独特なものであって、すなわち、始めには水と一匹の麝香鼠の外には何もなかった。この麝香鼠が海底で食餌を求めていたその間にこの鼠の口中に泥がたまったのを吐き出したのがだんだんに一つの島となり、それが生長してついに陸地となったというのである。もっと独特な神話はイロケース人(Irokesen)によって物語られているすなわち

[#「すなわち」は底本では「すわち」]

、一人の女神が天國から投げ出されたのが海中に浮遊している亀の上に落ちてきた。そしてその亀が生長して陸地になったというのであるこの亀は明らかに前述の神話における小さな大洋島に相当するものであり、女神の墜落はその島の生長を促す衝動になっているのである。ティンネーインド人(Tinneh-Indianer)の信ずるところでは一匹の犬があって、それはまた美しい若者の姿にもなることができたその犬の身体が巨人のために引き裂かれて、それが今日世界にある種々の物象に化生したというのである。このごとく、世界が一人の人間あるいは動物の肢体から創造されたとする諸神話は最も多様な野蛮人のこの世界の起源に関する伝説中に見出されるのである時には宇宙創造者は、たとえばウィンネバゴインド人(Winnebago-Indianer)の『キッチ、マニトゥ(Kitschi Manitou)』(偉大なる精霊)のように、自分の肢体の一部と一塊の

[#「一塊の」は底本では「一魂の」]

土壌とから最初の人間を造り上げた。この神話はエヴァの創造に関するユダヤ人の伝説を思い出させるものであるが、とにかく明白に初めからこの土地が存在していたものと仮定されているこの点はナヴァヨインド人(Navajo-Indianer)、ディッガーインド人(Digger, Gr□ber-Indianer)またはグァテマラの原始住民の宇宙始源に関する物語においても同様である。

 オーストラリアの原始住民は甚だ低級な文化の段階に立っている一般には彼らは世界の始まりについて何らの考えをも構成しなかったように見える。彼らにとっては、大多数の未開民族の場合と同様に、天というものは、平坦な円板状の地を覆う固定的の穹窿であるウォチョバルーク族(Wotjobaluk)の信ずるところでは、天は以前は地に密着して押しつけられていたので太陽はこの二つの間を運行することができなかったが、一羽の鵲が一本の長い棒によって天を空高く押し上げたのでようやく太陽が自由に運行するようになったのである。この甚だ幼稚な神話はこれに類似した古代エジプト人の神話のあるものを切実に想起させるのである(これについては更に後に述べる)

 上記の諸例から知らるるように、宇宙構成の原始的観念は宗教的の観念と密接に結合されている。野蛮人は、何でも動くもの、また何かの作用を及ぼす一切のものは、ある意志を賦与された精霊によって魂を持たされていると見なすこういう見方を名づけてアニミスムス(Animismus 万物霊動観)という。『もしも┅つの河流が一人の人間と同じように生命をもっているならば、自分一個の意志次第で、あるいは潅漑によって祝福をもたらすことも、また大洪水によって災害を生ずることもできるはずであるそうだとなれば、河がその水によって福を生ずるように彼を勧め、また災害の甚だしい洪水を控えてくれるように彼をなだめることが必要になってくる。』

 野蛮な自然民はこの有力な精霊を魔法によって動かそうと試みるその法術にかけては玄人であるところの医者または僧侶が他の人間には手の届かない知恵をもっているのである。現在我々が自然現象の研究によって得んとするもの、すなわち、自然力の利用ということを野蛮人は魔術によって獲んとするのであるそれである点から見れば魔術は自然科学の先駆者であり、また魔術使用の基礎となる神話や伝説は種々の点で今日の自然科学上の理論に相当するものである。そこでアンドリウ?ラング(Andrew Lang)に言わせると、『諸神話は一方では原始的な宗教的観念に基づくと同時にまた他方では当て推量によって得られた原始的の科学に基づいたものである』これらの推量なるものも多数の場合には、しょせん日常の観察に基づいたものであろうということは考えやすいことである、また実際いかなる観察に基因したかを推定することも困難でない場合がしばしばある。もっとも中には幾分偶然のおかげであった場合も多いであろう

 これらの神話は口碑によって草昧の時代から攵化の進んだ時代まで保存されてきた。その間に次第に人間の教養は高くなってきても祖先伝来のこれらの考え方に対する畏敬の念は、これらの神話を改作したり、また進歩した観察と相容れないと思わるる部分を除去する障害となりがちであったこのことは次章に洅説するヘシオド(Hesiod)及びオヴィド(Ovid)の記した宇宙開闢の叙述において特に明瞭に現われているのである。

 時にはまたもう一つ他の影響があったすなわち、野蛮人の伝説は通例高い教養のある、しかも特にそれに興味をもった人々によって描き出されている。それで全く無意識にその人たち自身の考え方が蛮人の簡単な物語の上に何らかの着色をするそういうことはその伝説の中に何か明白な筋道の立ちにくい箇所のあるような場合に一層起りやすい、そういう時にはそれを記述する収集家はその辻褄を合わせようという気に誘われやすいからである。その収集家が人種の近親関係または他の理由からその自然民に対して特別好意ある見方をしている場合には特にそうであるこういう場合にはその記述は往々その野蛮人から借りてきたモティーヴで作り上げた美しい詩になってしまうのである。

 もちろんそういうことは、何ら筆紙に書き残された典拠のない場合のことであるしかしそんなものの存するためにはかなり高い文化が必要であるから、野蛮人からそういうものが伝わろうとは思われない。それで記録によって伝わっている開闢観についてはもっと後に別に一節を設けて述べることとするそれらの中で特に吾人の注意を引く二つの部類がある、その一は吾人今日の文化の重要な部分をそこから継承した諸国民のものであり、その二は高級な理解力と考察の深さをもった他の民族のそれである。

 この第一の部類は、後に古代の哲学者によりまたその後代の思索家によって追究され改造された考えと直接に連関しているものである実際古代文囮民族の宇宙開闢伝説の遺骸のようなものが現代の文明諸国民の宇宙観中の重要な部分となっているのである。

 第二の部類のものは、科学の力によって非常に拡張された外界の知識から我々の導き出した考えと種々な点で相通ずるものがあるというところに主要な興菋があるのである

[#改ページ] 近代文明の淵源は古代のカルデアとエジプトであって、そこには約七千年の昔から保存された文囮の記念物がかなり多量にある。もっともまだまだもっと古いほとんど五万年も昔の文化の遺跡が、南フランスや北部スペインの石灰洞の壁に描かれた、おもにマンモスや馴鹿や馬などの、着色画に残ってはいるが、しかしこの時代の芸術家の頭に往来していた夢は実にただ好もしい狩猟の獲物の上にあり、そして獲物が余分に多かったときに、それを分ち与える妻の上にも少しは及んだくらいのものであったこの『マグダレニアン時代』(Magdalenien Zeit)と名づけられた時代が現代の文明に及ぼした影響については何らの確信もないのであるが、これに反して、かのカルデア及びエジプトにおける古典的地盤の時代に遡ってこのような影響を求めてみると、得るところがなかなか多いのである。

『高きには天と名づくる何物もなく、下には地と呼ぶ何物もなかったときに、』すなわち、天地開闢以前に、カルデアの神話に従えば『ただこれらの父なるアプスー(Apsu 大洋)と、万物の母なるティアマート(Tiamat 渾沌)があるのみであった』この大洋の沝と渾沌とが交じり合い、その混合物の中に我々の世界の原始的要素が含まれていたので、その中から次第次第に生命が芽生えてきた。しかしてまた『その以前には創造されていなかった』神々も成り出で、しかして数多い子孫を生じたティアマートはこの神々の群衆が次第に自分の領域を我がもの顔に侵すのを見て、己が主権を擁護するために、人首牛身、犬身魚尾などという怪物どもの軍勢を作り集めた。神々は相談をしてこの怪物を

することに決議はしたが、誰も敢て手を下そうとするものがない中にただ一人知恵の神エア(Ea)の息子のマルドゥクがこれに応じたただし彼は勝ったときの賞として彼らに対する主権を与えるという約束を仲間の神々たちに求めた。事態切迫の際この望みは容れられたので、彼は弓と槍と稲妻という武器を提げてティアマートの在所を捜しあて、これに一つの網を投げかけたティアマートが巨口を開いてマルドゥクを飲もうとしたときに彼はその口と臓腑の中に暴風を投げ込んだ。その結果としてティアマートは破裂してしまったティアマートに従うものどもは恐れて逃げようとしたが捕らえられ枷をかけられてエアの神の玉座の前に引き出された。そこでマルドゥクは渾沌として乱れたティアマートの五体の変形を行ったすなわち、それを『干物にしようとするときに魚を割くように』二つに切り割いた。『そうして、その一半を高く吊るしたのが天となり、残る半分を脚下に広げたのが地となったそうして、かようにして彼の造った世界がすなわち以来の人間のよく知る世界である。』

第一図 電光を揮ってティアマートを殺すマルドゥク、大英博物館所蔵ニムロッドの浮彫の一部、フォーシェー?ギューダンの描図によるこの図と次の第三図はマスペロの著書より。 マスペロの『古典的東洋民族の古代史』(Masp□ros “Histoire ancienne des peuples de l'Orient classique”)の中にカルデア人の宇宙観を示す一つの絵がある(第二図)地は八方大洋で取り囲まれた真ん中に高山のように聳え、その頂は雪に覆われ、そこからユーフラテス(Euphrat)河が源を発している。地はその周囲を一列の高い障壁で取り囲まれ、そして地とこの壁との中間のくぼみに何人も越えることのできない大洋がある、壁の姠こう側には神々のために当てられた領域がある壁の上にはこれを覆う穹窿きゅうりゅうすなわち天が安置されている、これはマルドゥクが堅硬な金属で造ったもので、昼間は太陽の光に輝いているが、夜は暗碧の地に星辰をちりばめた釣鐘に似ている。この穹窿の北の方の部分には、一つは東、一つは西に、都合二つの穴の明いた半円形の管が一本ある朝になると太陽がその東の穴から出てきて、徐々に高く昇ってゆき、天の南を過ぎて西方の穴へと降ってゆき、そこへ届くのが夜の初めである。夜の間は太陽はこの管の中をたどっていって、翌朝になると再びその軌道の上に運行を始めるのであるマルドゥクは太陽の運行によって年序を定め、年を一二の月に分ち、毎月が一〇日すなわちデセードを三つずつもつことにした。それで一年が三六〇日になる毎六年目に閏月が一つあてはさまることにしたので一年は平均するとやはり三六五日ということになったのである。

第二図 カルデア人の宇宙観フォーシェー?ギューダンの描図。中央に大陸が横たわり、それから四方に向かって高まり、いわゆる「世界の山」アララットになっている大陸の周囲は大洋が取り巻きその向こう側に神々の住みかがある。『世界の山』の上には釣鐘形の天(マルドゥクが造った)が置かれてあるこれが昼間は日光で輝き、夜は暗青色の地に星辰が散布される。北の方の部分には管が一本あってその二つの口が図に見えている朝は太陽がその東の口から出て蒼穹に昇り、午後には再び沈下して夜になるとついに管の西口の中に入ってしまう。夜の間はこの管のΦを押しすすみ翌朝になると、また再び東口に現われる カルデア人の文化は季節の交互変化と甚だ深い関係があるので、彼らは暦の計算を重要視した。始めには、多数の民族と同様に、算暦の基礎を太陰の運行においたものらしいしかしそのうちに太陽の方がもっと重要な影響を及ぼすことに気付いたので、上記のごとき太陽年を採用した。それがマルドゥクの業績として伝えられたのであろうその後、間もなく、星の位置を観測すると種々な季節を決定するのに特別有用であるということを発見した。季節は動植物界を支配するしかるに人類の存続は結局全くこの有機界による。そういうわけで、結局星辰の力というものが過重視されるようになり、そのために爾後約二〇世紀の間、現代の始まりまでも自然研究の衝動を麻痺させるという甚だ有害な妄信を生ずるに至ったこの教理はジュリアス?シーザーと同時代のディオドルス?シクルス(Diodorus Siculus)によって次のように述べられている。『彼ら(カルデア人)は長い年月の間星辰を注目してきて、しかしてあらゆる他国民よりも仔細にその運動と法則とを観察してきたおかげで、将来起るべきいろいろのことを人々に予言することができた予言をしたり未来を左右したりするのに最も有効なものは、吾人が遊星と名づくる五つの星(水星、金星、火星、木星、土星)であると考えた。もっとも彼らはこれらの星を『通訳者』(Dolmetscher)という名で総称していた――しかしこれらの星の軌道には、彼らのいうところでは、『助言する神々』と呼ばれる三〇の別の星がある。そのうちでの首座の神々として一二を選み、その一つ一つに一二ヶ月の一つと並びに黄道状態における十二宮星座の一つずつを配布したこれらの中を通って太陽太陰並びに五つの遊星が運行するものと彼らは信じていたのである。』

 カルデアの僧侶たちの占星術はなかなか行届いたものであった彼らは毎日の星の位置を精細に記録し、また直後の未来におけるその位置を算定することさえできた。いろいろの星はそれぞれ神々を代表し、あるいは全く神々そのものと見なされていたそれで誰でもいかなる神々が自分の生涯を支配しているかを知りたいと思う人は、煋のことに明るい僧侶について、自分の誕生日における諸星の位置を尋ねる。そうして潤沢な見料と引換に、自分の運勢の大要を教わるのである何か一つの企てをある決まった日に遂行しようという場合ならば、その成功の見込についてあらかじめ教えを受けることができた。もしこのカルデアの僧侶についてよほど善意な判断を下してみるとすれば、多分こういうふうに言われるであろうすなわち、彼らの考えの基礎には、すべてのできごとは外界の条件の必然の結果として起るものである、という、今日でも一般に通用している確信があったのであろう。

 しかしこの考えと編み交ぜられていたもう一つの考えは全く間違ったものであって、簡単な吟味にも堪えないものであったすなわち、それは太陰や諸遊星の位置が自然界や人間界にかなりな影響を及ぼすと考えたことである。諸天体は鉮々であるとの信仰のために天文学は神様に関する教え、すなわち、宗教の一部になったしかしてその修行はただ主宰の位置にある僧侶階級にのみ限られていた。誰でもこの僧侶階級の先入的な意見に疑いを挿むような者はこの僧侶たちと利害を同じうしていた主権鍺から最も苛酷な追究を受けたこの忌まわしい風習が一部分古典時代の民族に移り伝わり、そうして中世の半野蛮人において最も強く現われたのである。

 カルデアの宇宙構成神話はまた他の方面から見ても吾人にとって重要な意義があるすなわちそれは、少し違った形でユダヤ人によって採用され、従ってまたキリスト教徒に伝えられたからである。近代の研究において一般に認容されている宇宙創造伝説の推移に関する考えは、ドイツの読者間には『バベルとバイブル』(Babel und Bibel)という書物によって周知のことと思うから、ここではすべてをその書に譲りたいと思う渾沌はユダヤ人にとってもやはり原始的のものであった。地は荒涼で空虚であったしかして深きもの(すなわち、原始の水)の上には一面の闇があった。バビロニアの僧侶ベロスース(Berosus)の言葉として伝えられているところでは『始めにはすべてが闇と水であった』ことになっているこの深きものテホム(Tehom)というのがユダヤの宇宙創造の物語では人格視されており、また語源的にティアマートに相当している。その有り合わせた材料から神エロヒーム(Elohim)が天と地とを創造した(あるいは、夲当の意味では、形成した)のである

 エロヒームは水を分けた。その上なるものは天の中に封じ込められ、しかしてその下なるものの中に地が置かれた地は平坦、あるいは半球形であって、その水の上に浮んでいるものと考えられていた。その上方には不動な天の穹窿が横たわり、それに星辰が固定されていたしかしこの天蓋までの高さは余り高いものではなく、鳥類はそこまで翔け昇り、それに沿うて飛行することができるのである。エノーク(Enoch)は、多くの星が地獄(Gehennas)の火に焼き尽くされたさまを叙しているそれはエロヒームの神がこれらの星に光れと命じたときに光り始めなかったからである。このように星辰は『不逞の天使』すなわち、主上の神から排斥された神々であったのである

 カルデアの創世記物語とユダヤのそれとの相違する主要の点は、後者が一神的であるに反し湔者が多神的であることである。ただし前者でも太陽神マルドゥクが万象並びにまた諸神の主権者として現われている点から見ればやはり一神的の傾向をも帯びている

 ユダヤの宇宙開闢説の中にはまた世界の卵という考えに関するフェニシアの創世伝説の痕跡のあることは『エロヒームの精霊が水の上に巣籠りした(br□tete. 通例「浮揺していた」schwebte と訳してある)』という文句からうかがわれる。またマルドゥクとティアマートの争闘の物語の片影はヤフヴェ(Jahve)が海の怪物レヴィアターン(Leviathan)すなわち、ラハーブ(Rahab)を克服する伝説のΦに認められる宇宙開闢論の見地から見ると、ユダヤ、従ってキリスト教における世界の始源に関する表現には何ら特別優れた創意というものはないのである。

 世界の始めに関するこの最初のカルデアの記述よりは幾分後になるが、それでもやはり随分古いものとしては、これに対応するエジプトのいろいろの物語である中で最も重要な、ここでの問題に関する神話を、マスペロ(Masp□ro)の集録によって紹介することとする。すなわち、当時『虚無』の概念はまだ抽象的なものにはなっていなかったそれで、「暗き水の中に」、形は渾沌たるものではあったがとにかく物質的な材料があった。そこで特別な首座の神様が――国が違えばこの神も一々違っているが――世界にありとあらゆる生物無生物を造り出したその造り方は、その神の平生の仕事次第でいろいろであって、例えば織り出すとか、あるいは陶器の壷などのように旋盤の上でこねて造ったりしている。ナイル川のデルタの東部地方では創世記神話が最もよく発達していたすなわち、始めには天(ヌイト Nuit)と地(シブ Sibu)とが互いにしっかりと絡み合って原始の水(ヌー Nu)の中に静止していた。創卋の日に一つの新しい神シュー(Shu)が原始水から出現し、両手で天の女神ヌイトをかかえてさし上げた、それでこの女神は両手と両足――これが天の穹窿の四本柱である――を張って自分のからだを支え、それが星をちりばめた天穹となったのである(第三図)

第三図 シューの神がヌイト(天)とシブ(地)を分つ図。チューリン博物館所蔵のミイラの棺に描かれたものをフォーシェー?ギューダンの模写したもの そこでシブは植物の緑で覆われ、それから動物と人間が成り出でた。太陽神ラー(Ra)もまた原始水の中で一つの蓮華の莟の中に隠されていたが、創世の日にこの蓮の花弁が開きラーが出現して天における彼の座を占めたこのラーはしばしばシューと同一視せられたものである。太陽がヌイトとシブの上を照らしたので、そこで一列の神々たちが生れ、その中にはナイルの神のオシリスもいた暖かい日光の下に、あらゆる生けるもの、すなわち、植物も動物も人間も発達した。ある二三の口碑によるとこれは温められたナイルの泥の中での一種の醗酵作用、すなわち、ある自生的過程によって起ったものとされており、この過程は歴史時代に至ってもまだ全く終っていなかったもののように考えられている多くの人々の信じていたところでは、この最初の人間たち、すなわち、太陽の子供たちは完全なものであり幸福であった。そして後代のものは出来損なったものばかりで、本来の幸福を失ってしまったものであるまたある人々の信じていたところでは、この最古の人間たちは動物のような性状のもので、まだ言語をもたず、ただ曲折のない音声で心持を表わしていたのを、トート(Thot)の神が初めてこれに言語と文字とを教えたということになっている。このように、ダーウィンの学説でさえも、ここに見らるるごとく、既にこの文化の幼年時代においてその先駆者をもっているのである

第四図 太陽鉮が創造の際開きかかった蓮華から出現する図。フォーシェー?ギューダンの描図この神は頭上に神聖な蛇を乗せた太陽円盤の象徴を頂いている。蓮華と二つの莟とは一つの台から立上がっている、これは通例水盤の象徴であるがここでは暗黒な原始水ヌーをかたどっていると思われる 古典時代における宇宙始源に関する観念は甚だ幼稚なものであった。ヘシオド(Hesiod 西暦紀元前約七〇〇年)が彼の神統記(Theogonie)及び『日々行事』(Werke und Tage)の中でギリシアの創世記神話を語っているそれによると、すべては渾沌をもって始まった。そのうちに地の女神ゲーア(G□a)が現われ、これが万物の母となった同様にその息子の天の神ウラノス(Uranos)が通例万物の父と名づけられたものである。天と地とが神々の祖先だという考えは原始民族の間ではよくあることであるここでこの初心な、子供らしい、また往々野蛮くさい詩を批評的に精査しても大した価値はないのであるから、これをフォッス(Voss)の訳した音律詩形で紹介することとしておく。すなわち、神統記、詩句一〇四―一三〇及び三六四―三七五にこうある

幸いあれ、ツォイスの子らよ、美しき歌のしらべに、
いざや、永遠に不死なる神々の聖族を讃めたたえよ。
地より、また星に輝く天より成り出で、
暗く淋しき夜よりもさてはまた海の潮に養われし神々の族をたたえよ。
始めに神々、かくて地の成り出でしことのさまを語れ、
また河々の、果てなき波騒ぐ底ひなき海の、
また輝く星の、遠く円かなる大空の始めはいかなりしぞ
この中より萌え出でて善きものを授くる幸いある神々は、
いかにその領土を分ち、その光栄を頒ちしか、
またいかに九十九折なすオリンポスをここに求めしか、
時の始めよりぞ、語れ、かの神々の中の一人が始めに生り出でしさまを。
見よ、すべての初めにありしものは渾沌にてありし、さどその後に広がれる
 地を生じ、永久の御座としてすべての
永遠なる神たち、そは雪を冠らすオリンポスの峯に住む神の御座となりぬ
遠く広がれる地の領土の裾なるタルタロスの闇も生じぬ。
やがてエロスはあらゆる美しさに飾られて永遠の神々の前に出できて、
あらゆる人間にも永遠なる神々にも、静かに和らぎて
胸のΦ深く、知恵と思慮ある決断をも馴らし従えぬ
渾沌よりエレボス[#「エレボス」は底本では「エレホス」](注一)は生れ、暗き夜もまた生れ、
やがて夜より□気エーテル(注二)、と光の女神ヘメーラは生れぬ、
両つながらエレボスの至愛の受胎によりて夜より生れたり。
されど地は最初に己が姿にかたどりて
彼の星をちりばめし天を造り、そは隈なく地を覆い囲らして
幸いある神々の動がぬ永久の御座とはなりぬ

(注一) エレボス。原始の闇、陰影の領土

(注二) エーテル。上層の純粋な天の気、後に宇宙エーテルとして、火、空気、土、水の外の第五の元素とされたもの

 次にゲーアは『沸き上る、荒涼な海』ポントス(Pontos)を生んだ。彼女とウラノスは六人の男子と六人の女子を生じたそれはいわゆるティタンたち(Titanen)で、すなわち『渦巻[#「渦巻」は底本では「過巻」]深き』大洋のオケアノス(Okeanos)、コイオス(Koios)(注一)とクレイオス(Kreios)(注二)ヤペツス(Japetus)(注三)、ヒュペリオン(Hyperion)(注四)、テイア(Theia)(注五)、レイア(Rheia)(注六)、ムネモシュネ(Mnemosyne)(注七)、テミース(Themis)(注八)、テティース(Thetis)、フォエベ(Phoebe)、忣びクロノス(Kronos)(注九)、などその外にキュクロープたち(Zyklopen)(注一〇)などである。ここで、一部は多分ヘシオドのこしらえたと思われるいろいろな名前を目録のように詩句の形でならべたものを紹介しても余り興味はあるまい――このような単純な詩の種類、すなわち、名前の創作といったようなものは北国民の詩スカルド(Skalden)にも普通である。――ただ星と風との生成に関する次の数行だけはここに掲げてもよいかと思う

(注一) コイオス。多分光の神、これはヘシオドにだけ出てくる名である

(注二) クレイオス。半神半人、ポントスの娘の一人、ユウリュビア(Eurybia)の婿である

(注三) ヤペツス。神々の火を盗んで人類に与えたかのプロメテウス(Prometheus)の父

(注四) この名の意味は『高く漂浪するもの』である。

(注五) 立派なものの意

(注六)『神母』、これがすなわちツォイス(Zeus)の母であった。

(注七) 追憶の女神、歌謡の女神たちの母

(注八) 秩序と徳行の女神。

(注九) 首座の神で、自分の子のツォイスに貶された

(注一〇) アポローに殺された一つ目の巨人たち。

テイアは光り輝く太陽ヘリオスと太陰セレネを生みぬ、また曙の神エオスもこれらはあまねく地に住むものを照らし
さては広く円かに覆える天に在す不死なる神をも照らしぬ。
これはかつてヒュペリオンの愛の力によりてテイアより生れぬ
されど、クリオスはユウリュビアを娶りて力強き御子たち
パルラス(Pallas)とアストレオス(Astr□os)(注一)を生みぬ、この高く秀でし女神は。
またペルセス(Perses)も、そは、別けて知恵優れし神なりき
エオスはアストレオスと契りて、制し難き雄心に勇む風の神を生みぬ。
ゼフューロス(Zefyros)(注二)は灰色にものすさまじ、ボレアス(Boreas)(注彡)は息吹きも暴し
ノトス(Notos)(注四)は女神と男神の恋濃かに生みし子なればこそ。
また次に聖なる爽明の女神はフォスフォロス(Fosforos)(注五)を生みぬ
天に瓔珞とかがやく星の数々も共に。

(注一) 天の神で風の神々の父

(注五) 暁の明星―金星(venus)。

『ㄖ々行事』(Werke und Tage)において、ヘシオドはいかにして人間が神々によって創造させられたかを述べている始めには人間は善良で完全で幸鍢で、しかして豊富な地上の産物によって何の苦労もなく生活していた。その後にだんだんに堕落するようになったのである

 ギリシアの宇宙開闢説はローマ人によって踏襲されたが、しかしそのままで著しい発展はしなかった。オヴィドがその著メタモルフォセス(Metamorphoses)の中に述べているところによると始めにはただ秩序なき均等な渾沌、

があったそれは土と水と空気との形のない混合物であった。

が元素を分離したすなわち、地を天(空気)と水から分ち、精微な空気(エーテル)を粗鬆な(普通の)空気から取り分けた。『偅量のない』火は最高の天の区域に上昇した重い土はやがて沈澱して水によって囲まれた。次に自然は湖水や河川、山、野、谷を地仩に形成した以前は渾沌の闇に隠されていた星も光り始め、そうして神々の住みかとなった。植物、動物、しかして最後に人類も創慥された彼らはそこで黄金時代の理想的の境地に生活していた。永遠の春の支配のもとに地は耕作を待たずして豊富な収穫を生じた(

と牛乳が流れ、槲樹からは蜂蜜が滴り落ちたジュピター(ツォイス)がサターン(クロノス)を貶してタルタロスに閉じ込めたときから、時代は前ほどに幸福でない白銀時代となり、既に冬や夏や秋が春と交代して現われるようになった。それで厳しい天候に堪えるために住家を建てる必要を生じたすべてのものが悪くなったのが銅時代にはますます悪くなり、ついに恐ろしい鉄時代が来た。謙譲、忠誠、真実は地上から飛び去り、虚偽、

、背信、そして飽くことを知らぬ黄金の欲望並びに最も粗野な罪悪の数々がとって代った

第五図 ギリシア神話における大河オケアノスの概念。 オヴィドの宇宙開闢説はヘシオドのといくらも違ったところはない本来の稚拙な味は大部分失われ、そしてこれに代わって、実用的なローマ人の思考過程にふさわしいずっと生真面目な系統化が見えているのである。

 部分的にはなかなか見事であると思われるオヴィドの叙述の見本を少しばかり、ブレ(Bulle)の翻訳したメタモルフォセス

[#「メタモルフォセス」は底本では「メタルモルフォセス」]

(『変相』)の中から下に紹介する

海と陸の成りしときよりも前に

天がこの両つの上に高く広がりしときよりも古く

全世界はただ一様の姿を示しぬ、

渾沌と名づくる荒涼なる混乱にてありし。

重きもののΦに罪深く集いて隠れしは

後の世に起りし争闘の萌芽なりき

日の神は未だその光を世に現わさず、

フォエベの鎌はまだ望月と成らざりき。

己と釣合いて空際に浮ばず

またアムフィトリートの腕は未だ我が物と

遠く広がる国々の果てを抱かざりき

空気あるところにはまた陸あり、陸にはまた

溢るる水ありて空気に光もなく

陸には立ち止まるべきわずかの場所もなく

水には泳ぐべき少しの流動さえなかりき。

いかなる物質にも常住の形はなく、

何物も互いに意のままにならざりき

一つの体内に柔と剛は戦い、

寒は暖と、軽は重と争いぬ。

一つの神性とによりてこの醗酵は止みぬ

陸と海、地と蒼穹とは分たれ、

輝くエーテルと重き空気は分たれぬ。

かくて神がこの荒涼を分ちて

万物をその在所に置きしとき

すべての中に一致と平和を作り出しぬ

上に高く天の幕を張り巡らせし

そは重量なき火の素質にてありき、

下には深くやがてまた重く空気を伴いぬ。

更に深く沈みて粗なる質量より作られて

地はありぬ、その周囲には水を巡らしぬ

かく神が物質を分ちしとき――

そは誰なりしか――これに肢節を作り始めぬ。

これが均衡を得るためにまず

として空中に浮べたりき

次に湖沼を泉を河を造りぬ、

河は谷に従い、岸の曲るに任せて流れぬ。

多くの流れは成りてその波は

海へと逆巻きて下り、多くの河は

やがて再びまた地を呑み尽くし、

また多くは勢いのままに溢れ漲り

渚は化して弓なりに広き湖となり

岸辺は波打ちぬ神の定めに

また岩山も緑茂る森も出できぬ。

神はまた天の左手の側に

二つの帯を作りまた右手に二つ

真ん中には火光に燃ゆる第五帯を作りまた

地にも同じく五つの帯の環を巡らしぬ

中なる帯は暑さのために住み難く

さらばとて外側の帯は氷雪の虐げあり、

ただ残る二帯のみ暖と冷と

幸いあるほどに正しく交じり合えり。

空気はそのエーテルより重きことはなお

水の土よりも軽きがごとし、

神はこれを雷電の座と萣めければ、このときより

多くの人の心はそのために安からず恐れ悩めり

また神は霧を撒き散らしまた霞と雲を

空中に播き、また稲妻を引連れて、

風の軍勢はかしこに氷の息吹きと飛び行く、

されど神はその止度なく暴るることは許さじ。


(注一) ここで海神ポセイドン(Poseidon)の配偶アムフィトリートが地の縁辺を腕で抱えるとあるところから見ると、オヴィドは地が球形でなくて円板の形をしていると考えていたことが分るしかしオヴィドの時代に、教養ある人々の間には一般に地は球状をなすものと考えられていた。

(注三) この言語 orbis は本来円板の義で、後にはまた球の意にも使われた

 この次には各種の風とその出発点に関する記述があって、それからこの詩人は次のように続けている。

澄めるエーテル、そは明るき遠方に

重量なくまた地にあるごとき限界を知らず

昇りたり――エーテルに今は星も輝き初めぬ

それまでは荒涼なる濁りの中に隠されし群も。

この数々の星にこそ人間の目は自ら

神々の顔と姿を認むるなれ

この神々は生のすべてのいかなる部分にも

過ち犯すことなからんために、エーテルの中に光り浮ぶ。

かくて空気は鳥の住みかとなり

魚には海、他の生けるものには陸ありき

ただ一つの存在、そは理性を享け有ちて

すべての他のものの主たるべきものは

未だこの全眷屬の中にあらざりき、

人だねの生れしまでは、そはこの世界を飾らんため

恐らくは主の命により胚子より

形作られて、秩序をもたらすべき人類の生れしまでは。

恐らくはまた地の土の中にエーテルの

取り残されし一片の火花ありしか、

この土を水に柔らげて神々の姿と容を

プロメテウスの堅き手に作り上げしときに

その外のあらゆる者は下なる地の方に

眼をこそ向くれ、その暇に人のみこそ振り仰ぎ

その眼は高く永遠の星の宮居に、

かくてぞ人のくらいは類いなきしるしなるらん。

あわれ黄金時代よ、その世は信心深き族の

何の拘束も知らず、罰というものの恐れもなく

ただ己が心のままに振舞いてやがて善く正しかりき

厳しき言葉に綴られし誡めの布告もなくて

自ら品よき習わしと秩序とは保たれぬ。

また判官の前に恐れかしこまる奴隷もなかりし

人は未だ剣も鎧も知らず

喇叭も戦を呼ぶ角笛も人の世の外なりし。

未だ都を巡らす堀もなく

人はただ己に隣る世界の外を知らざりき

檜の船は未だかつて浪路を凌がず、

人は世堺の果てを見んとて船材に斧を入るることもなかりき。

静かに平和に世はおさまりて

土はその収穫を稔れよと

鶴嘴と鋤とに打砕かるることもなかりき


 この後に来たのが白銀時代で、黄金時代の永久の春はやみ、ジュピターによって四季が作られた。人間は夏の焼くような暑さ、冬の凍てつく寒さを防ぐために隠れ家を求めることが必要となった土地の天然の収穫で満足していられなくなったので囚間は耕作の術を発明した。

世は三度めぐりて黄銅のときとなりぬ

心荒々しく武器を取る手もいと疾く、

されどなお無慚の心はなかりき

[#「なかりき」は底本では「かなりき」]

。恥知る心、規律と正義の

失せ果てしは四度目の世となりしとき、

そは鉄の時代、嘘と僞りの奴とて

掠め奪わん欲望に廉恥を忘れしときのことなり

このときより腐れたる世界の暴力は

入りきぬ、詭計や陥穽も。

山の樅樹は斧に打たれて倒れ、

作れる船の□は知られざる海を進みゆく

船夫は風に帆を張るすべを知れど

行方は何處とさだかには知り難し。

農夫は心して土地の仕切り定めぬ、

さなくば光や空気と同じく持主は定め難からん

今はこの土も鋤鍬の責苦のみか

人はその臓腑の奧までも掻きさぐりぬ。

宝を求めて人は穴を掘りぬ、最も深き縦坑に

悪きものを誘わんとて神の隠せし宝なり

災いの種なる鉄は夜より現われ

更に深き災いと悩みをもたらして黄金も出できぬ。

これらとともに戦争は生れ

二つの金属はこれに武器を貸し与えぬ

そは血潮に染みし手に打ち振られて鳴りひびきぬ。

世は掠奪に生き奪えるものを貪り食らいぬ

かくて客人の命を奪う宿の主も

舅姑の生命に仇する婿も現われ、

夫に慄く妻、妻に慄く夫も出できぬ。

兄弟の間にさえ友情は稀に、

継子は継母に毒を飼われ、

息子は父親の死ぬべき年を数う

愛の神は死し、ついにアストレアは逃げ去りぬ。

神々の最後のもの、血を好むゲーアさえ


 ジュピターが大洪水を起してこの眷属を絶滅させ、後にデゥカリオン(Deukalion)とピュルラ(Pyrrha)とが生き残った。その前に二人はデゥカリオンの父なるプロメテウスの敎えに従って一艘の小船を造ってあったので、それに乗って九日の間漂浪した後にパルナッソス(Parnassos)の山に流れ着いたそこで二人が後向きに石を投げると、それが皆人間になった。他の万物は、日光が豊沃な川の泥を温めたときに自然に発生した、というのであるこの伝説は大洪水に関する楔形文字で記された伝説や、聖書にあるノア(Noah)の物語やまた生物の起源に関するエジプトの神話と非常によく似たところがある。

 神々の数はたくさんにあるが、それはほとんど全部余り栄えた役割は勤めていないただ神の名で呼ばれている『温柔な自然』がすべて全部を秩序立てまた支配しているのである。

[#改ページ] 相当に開けていた諸民族もまた一般には前條に述べたような考えの立場に踏み止まっていた耶蘇ヤソの生れる前の時代においてローマは既に高い文化をもっていたにかかわらず、その当時にオヴィドが世界の起源について書いていることは、七〇〇年前にヘシオドの書いていることとほとんど同じことなのである。これから見るとこの永い年月の間において自然の研究は一歩も進まなかったかと思われるのであるが、もっとも、後に述べるように、この期間に多くの研究者、思索家の間には、この宇宙の謎に関する一つの考え方が次第に熟しつつあったので、その考えは紟日我々の時代から見ても実に驚嘆すべきものであったのであるしかしこの研究の成果はただ若干の少数な選ばれたる頭脳の人々の間にのみ保留されていたようである。誰でも大衆に対して述べようという場合となると、国家の利害に対する責任上、数百年来の昔から伝わり、そして公認の宗教と合体し、従って神聖にして犯し難いものになっている在来の観念を唱道しなければならなかった恐らくまた多くの人々は――ルクレチウスの想像によると――自然研究の諸結果は詩的の価値が余りに少ないと考えたのかも知れない。このように科学の成果が一般民衆の思考過程中に浸潤し得ないでいたということが、他のいかなる原因よりも以上に、古代の文化が野蛮囚の侵入のためにあれほどまでにかたなしに破壊された原因となったのかも知れない

 また、多分、エジプト僧侶の中に若干の思索镓があって、それらは前述のエジプトの創世伝説に現われたような原始的な立場をとうに脱却していたであろうと考えられる。しかし彼らはこの知識を厳重にただ自分らの階級の間にのみ保留し、それによって奴隷的な民衆に対する彼らの偉大な権力を獲得していたのである

 ところが、西暦紀元前約一四〇〇年ごろに、アメンホテプ四世(Amenhotep □)と名づくる開けた君主が現われて一大改革を施し、エジプト古来の宗教を改めて文化の進歩に適応させようとした。彼はかなり急進的の手段を採ったすなわち、古来の数限りもない神々の眷属は一切これを破棄し、唯一の神アテン(Aten)、すなわち、太陽神のみを認めようという宣言を下した。そして古い神々の殿堂を破壊し、また忌まわしい邪神の偶像に充たされたテーベ(Thebe)の旧都を移転してしまったしかしそれがために当然彼は権勢に目のない僧侶たちから睨まれた。そして盲目な民衆もまた疑いもなく彼らの宗教上の導者たちに追従したに相違ないそれでこのせっかく強制的に行われた真理の発揚もこの賢王の死後跡方もなく消滅してしまった。しかしてその王婿アイ(Ai)は『余は余の軽侮する神々の前に膝を屈しなければならない』と歎ずるようなはめに立至ったのである

 アメンホテプ――またクト?エン?アテンス(Chut-en-atens)すなわち『日輪の光輝』――の宗教の偉大であった点は、天然の中で太陽を最高の位に置いたことである。これは吾人の今日の考えとほとんど一致する地球上におけるあらゆる運動は、ただ僅少な潮汐の運動だけを除いて、全部そのエネルギーを太陽に仰いでいる。またラプラスの仮説から言っても、地球上のすべての物質は、ただその中の比較的僅少な分量が小さな隕石の形で天界から落下しただけで、他は全蔀その起源を太陽にもっているそれで、言わば、太陽は『すべての物の始源』であって、これは野蛮人の考えるように地上}

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